福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件とは福岡大学のワンダーフォーゲル同好会に所属する5人の大学生が、1970年に北海道の日高山脈でヒグマの襲撃に遭った事件
5人の学生がヒグマに襲撃され、3名が命を落としましたが生き残り2人のその後は?遺体のそばに残されていたメモの内容は?
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の詳細な経緯については「人を襲うクマ―遭遇事例とその生態」にまとめられています。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の経緯
1970年7月、北海道日高山脈で発生した福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、登山史に残る悲惨な事故です。5人の学生がヒグマに襲撃され、3名が命を落としました。この事件は、ヒグマの生態や登山における安全対策について多くの教訓を残しています。
■事件の概要
日時: 1970年7月25日~29日
場所: 北海道日高山脈カムイエクウチカウシ山
遭難者: 福岡大学ワンダーフォーゲル部男子学生 5名 (A、B、C、D、E)
死亡者: 3名 (A、C、E)
負傷者: 2名 (B、D)
■事件の経過
7月25日、5人の学生はカムイエクウチカウシ山に入山。
26日、テントがヒグマに襲撃され、荷物が持ち去られる。
26日夜、ヒグマが再び現れ、Eさんが襲われて死亡。
27日、Aさんが襲われて死亡。
BさんとDさんは下山し、救助隊に遭難を伝える。
28日、救助隊が出動。
29日、Cさんの遺体が発見される。
29日、ヒグマが射殺される。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の原因を考察
この事件の原因は、ヒグマの生態に対する理解不足と、適切な対処の遅れなどが考えられます。
■ヒグマの生態
ヒグマは縄張り意識が強く、一度獲物と認識した獲物を執拗に追跡することがあります。
ヒグマは臆病な動物ですが、子連れや発情期などは攻撃的になることがあります。
当時の状況では、ヒグマとの遭遇に関する正しい知識や対処法が一般的に浸透しておらず、メンバーが誤った行動をとってしまったことが主な原因でした。具体的には以下の点が挙げられます。
まず、ヒグマから何度も荷物を取り返したことが挙げられます。ヒグマは一度獲物を手に入れると執着し、その荷物を取り返されることに敏感に反応します。この行動がヒグマの攻撃を引き起こす要因の一つでした。
また、逃げる際に悲鳴を上げたり、色めき立ってしまったことも問題でした。ヒグマは刺激されると攻撃的になる傾向があり、メンバーの行動がヒグマを刺激してしまった可能性があります。
さらに、メンバーが散り散りに逃げてしまったことも、ヒグマの追跡を容易にしてしまった要因でした。ヒグマは集団よりも個々の人間を追いかけやすいとされています。
このような誤った行動が重なり、事件を引き起こす要因となりました。当時はヒグマとの遭遇に関する正しい知識や対処法が不足しており、登山計画が情熱に満ちていたことも、適切な判断を妨げた可能性があります。
結果的に、ヒグマとの遭遇に対する正しい知識や対処法の普及が不十分であり、メンバーの行動によってヒグマが刺激され、事件が引き起こされたと考えられます。
今ではインターネットや専門家による情報が進んでおり、ヒグマとの遭遇に関する対策も進んでいます。これらの情報を正しく理解し、適切な行動をとることが重要です。
■適切な対処
ヒグマに遭遇した場合は、慌てずに静かに後ずさりし、距離を取る。
熊撃スプレーやラジオなどを持参し、威嚇する。
食料や荷物は熊の届かない場所に保管する。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件のメモ
7月26日に仲間とはぐれたEさんはテントに一旦戻ったらしく、テント跡には彼の残したメモがあったそうです。
そのメモの全文がこちら
26日午後5時。夕食後クマ現れるテント脱出。鳥取大WVのところに救助を求めにカムイエク下のカールに下る。
17:30 我々にクマが追いつく。
XXがやられたようである。
オレの5m横、位置は草場のガケを下ってハイ松地帯に入ってから20m下の地点。
それからオレもやられると思って、ハイ松を横にまく。
するとガケの上であったので、ガケの中間点で息をひそめていると、
XXが声をからして鳥取大WVに助けを求めた。
オレの位置からは下の様子は、全然わからなかった。
クマの音が聞こえただけである。XXがなにか大声で言ってた、
全然聞きとれず、クマの位置がわからず。
ガケの下の方に2、3カ所にたき火が見える。テントにかくまってもらおうと、ガケを5分ぐらい下って、
下を見ると20m先にクマがいた。オレを見つけると、かけ上って来たので一目散に逃げる。
前、後ろへ横へと転び、それでも振りかえらず前のテントめがけて、やっと中へかけこむ。
しかし、誰もいなかった。しまった、と思ったが、もう手遅れである。シュラフがあったので、すぐ一つを取り出し、
中に入り込み大きな息を調整する。しばらくすると、なぜか安心感がでてきて落着いた。
それでもkazeの音や、草の音が、気になって眠れない。
鳥取大WVが、無事報告して、救助隊が来ることを祈って寝る。
27日 4:00 目が覚める。
外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする。
テントの中を見まわすと、キャンパンがあったので中を見ると、御飯があった。
これで少しホッとする。上の方は、ガスがかかっているので、少し気持悪い。
もう5:20である。
また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。
ああ、早く博多に帰りたい
7:00 沢を下ることにする。にぎりめしをつくって、テントの中にあったシャツやクツ下をかりる。
テントを出て見ると、5m上に、やはりクマがいた。とても出られないので、このままテントの中にいる。
8:00頃まで・・・・(判読不能)しかし・・・・・(判別不能)を、通らない。他のメンバーは、もう下山したのか。
鳥取大WVは連絡してくれたのか。いつ、助けに来るのか。すべて、不安でおそろしい・・。
またガスが濃くなって・・・・
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件|メモ・生き残りのその後は?
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の生き残りについてのその後は、事件後の彼らの生活や心境の変化についての情報は限られていますが、一部の情報があります。
生還者の一人であるBは、事件後、体験を語ることが非常に難しいと述べています。彼は事件後、しばらくの間、事件のトラウマから立ち直るための時間を必要としました。
その後、彼は一般社会に復帰し、普通の生活を送っています。
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件|ヒグマのその後は?
福岡大学ワンダーフォーゲル部を襲ったヒグマはその後、29日にハンター10人によって射殺されたそうdせう。
胃袋が調べてもヒグマは人間を食べた形跡な確認できなかったとのこと。
なお、福岡大学ワンダーフォーゲル部を襲ったヒグマの剥製は現在、札内川園地・日高山脈山岳センターに展示されています。