「踏めば助かるのに」「○○のに…」元ネタのロボットは?

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X(旧Twitter)でよく見る「踏めば助かるのに」の元ネタは?

X(旧Twitter)でロボットが「○○のに…」と言っている画像や大喜利の元ネタは何でしょうか?

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「踏めば助かるのに」「○○のに…」元ネタのロボットは?

Twitterなどで最近よく見かける「踏めば助かるのに」「○○のに…」というセリフは、浜島書店の中学歴史資料集「学び考える歴史」に登場する青いロボットのキャラクターが発した言葉です。

このロボットは、歴史上の出来事に対して、当時の時代背景や宗教観を無視した感想、いわゆる『事後諸葛亮』的な発言や、人の心を持ち合わせない発言を連発することで知られています。

「踏めば助かるのに」「○○のに…」元ネタの背景

「踏めば助かるのに」というセリフは、江戸時代のキリシタン弾圧に使われた踏み絵の写真に対し、ロボットが発したものです。

このセリフは、当時のキリシタンが置かれた状況や、踏み絵を踏むことの意味を理解していないことから、無神経な発言とされています。

しかし、このロボットの無知な発言は、逆に読者に当時の時代背景や宗教観について考えさせるきっかけを与えます。

つまり、「踏めば助かるのに」というセリフは、単なる皮肉ではなく、歴史を深く理解するためのヒントとなるのです。

踏み絵は踏めば助かる|踏まなかったらどうなる?

踏み絵を踏めなかった人はキリシタンとして拘束され取り調べを受けます。

その結果、棄教すれば許されますが、しないと投獄され、処刑されるか獄死するかのどちらかです。

踏み絵を前にして迷っている場合は踏めばOKです。これで本心にかかわらず「棄教した」「転んだ」と見做されます。要は為政者にとって「今日は〇〇人棄教させた」と云う実績づくりができればよいのです。心の中まで徹底的に問い詰めていたわけではありません。棄教したキリシタンの中には、家に帰ってから足を洗い、その水を飲んだ信者もいたそうです。

踏み絵は踏めば助かる|1856年4月に廃止

江戸幕府は、1612年(慶長17年)徳川家康によるキリシタン禁令、1619年(元和5年)徳川秀忠によるキリシタン禁令の高札設置などの度重なるキリスト教の禁止を経て、1629年(寛永6年)に絵踏を導入、以来、年に数度「キリシタン狩り」のために前述したキリストや聖母が彫られた板などを踏ませ、それを拒んだ場合はキリスト教徒として逮捕、処罰したとされる。踏み絵の発案は諸説あるが不明である。

初期の段階ではキリシタン狩りに効果があったとされたが、次第に内面でキリスト教を信仰さえすればよいという考えが広まり、役人の前では堂々と絵踏みをするが、密かに神に祈って許しを請う信者が現れ始める。そのため、後期には必ずしも『キリシタン狩り』の効果は上がらなかったといわれている。

この踏み絵に関しては、海外の記録にも残り、張登桂が1828年(明命9年)に著した『日本聞見録』という小録の中に、長崎の役所でベトナム人が四角の銅器の上に人形を陽刻したものを踏ませられたことが記されており、その理由を知らず、不思議がると、長官が、「昔、西洋人が宗教のため、乱を起こしたので、橋や道路に西洋教主の形状を刻したものを置き、同国人に踏ませ、西洋人が来ないようにしたのだ」と説明したとされる。

1856年4月13日(安政3年3月9日)、長崎・下田などの開港地で踏み絵が廃止される。ただし、キリスト教に対する弾圧自体は明治維新後もしばらく続き、明治政府は1868年に出した禁令の高札(五榜の掲示)の中でキリスト教の禁止を示している。しかし、1873年(明治6年)に高札を撤去したことで日本におけるキリスト教弾圧は終わりを迎えた。

まとめ:「踏めば助かるのに」「○○のに…」元ネタのロボットは?

「踏めば助かるのに」「○○のに…」元ネタについて、以下、このロボットに関する詳細情報をまとめました。

名前: 公式では設定されておらず、単に「ロボット」と呼称されている。
登場作品: 浜島書店「学び考える歴史」
特徴: 記憶力はすごいが、人間のことをよく知らない。
セリフ: 歴史上の出来事に対して、当時の時代背景や宗教観を無視した感想、いわゆる『事後諸葛亮』的な発言や、人の心を持ち合わせない発言を連発する。
ネットミーム化の経緯: 2022~2023年にかけてネット上で話題になり、2024年5月頃にTwitterでバズった。
役割: 読者に当時の時代背景や宗教観について考えさせるきっかけを与える。
ネットで呼ばれている名前: 踏めば助かるのにロボ、畜生ロボ、鬼畜ロボ、ロボカス、ノンデリロボなど

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