サン・ガルガーノ修道院とは、ガルガーノ・グイドッティという騎士が神の啓示を受けたことで僧侶となったことで建てられた修道院。
ガルガーノはその際、剣を手放す象徴的な行為として岩に突き刺したとされ、800年以上が経過した今でも剣は岩に突き刺さったままとなっています。
サン・ガルガーノ修道院の剣は岩に刺さって抜けない
サン・ガルガーノ修道院とは、イタリア中部、トスカーナ州の都市シエナ郊外にあるカトリック系の修道院。
近くには自給自足に必要な水源となる川が流れ、平野と森もあることに加え、他の地域に行くための交通の便も良かったためこの地が選ばれ1218~1288年頃に設立されます。
そのサン・ガルガーノ修道院から歩いて10分ほどの丘の上には円筒形の形をした建物があります。
修道士などの世俗から離れて暮らす礼拝堂で、ここでサン・ガルガーノ(聖ガルガーノ)の人生の最期を過ごしたとされています。
サン・ガルガーノとは、この近辺にあるシエナ県の田舎キューディーノに1100年代中ころ生まれた人物で、ガルガーノ・グイドッティという名で勇敢な騎士して知られていました。
言い伝えによると、ある日落馬した際、ガルガーノは大天使ミカエルから「物欲を捨てよ」という啓示を受けたそうです。
ガルガーノは「それは岩に剣を突き立てるくらい無理な話だ」と反発。
ところが実際に岩に剣を突き立てようとしたところ、まるで岩がバターになったかのように簡単に剣が刺さってしまいました。
その後、天使に導かれたシエピ山で12人の使徒に出会い、さらに神の姿を見たことから、キリスト教徒として生きる決心をします。
死後はローマ法王によって聖人に序せられることになりますが、剣を突き立てた場所にあるのがサン・ガルガーノ修道院の礼拝堂になります。
サン・ガルガーノ修道院の剣は、騎士の象徴である武器を捨て、平和へと改宗した意味があるとされています。
この剣は、礼拝堂の真中に保存されていて、今でも見学することができますが、その礼拝堂の奥の部屋には、ミイラ化した人間の手も展示されています。
伝説によると、1181年、ガルガーノが巡礼に出かけている最中に、彼を妬む3人の修道士がこの剣を引き抜いて壊してやろうと企みます。
しかし、神の罰により1人は川で溺れ、1人は雷に打たれました。最後の1人は狼に腕を噛まれ引きずられたものの、聖ガルガーノに助けられたと言われています。
この腕は聖ガルガーノに助けられた修道士の腕とされています。
近年行われた研究調査によると、この腕は聖ガルガーノと同時代のものであることがわかっているそうです。
サン・ガルガーノ修道院の剣がエクスカリバーのモデル?
サン・ガルガーノ修道院の剣は岩に刺さったまま現在まで残っていますが、「岩に刺さった剣」と言えばエクスカリバーが有名ですね。
今なお実在したかどうかについて議論の絶えない中世イギリスの王・アーサー王が愛用した武器がエクスカリバーで、ブリテン島の正当な統治者の象徴であると同時に魔法の力が宿るとされています。
海外の報道によると、サン・ガルガーノ修道院の剣を現代の科学技術で測定してみたところ実際に12世紀の頃に作られた剣だということが判明。
考古学で通常、年代測定に使われるのは原始の一つ・炭素の性質を利用した「放射性炭素年代測定」ですが、この方法は金属には使えません。
そこで、蛍光X線分析により金属の組成を分析し、同年代と特定されているトスカーナ産の武具類と組成の比率と比較したところ、一致することが確認できたそうです。
サン・ガルガーノ修道院の剣の形状と型式についても当時の型式と一致。
よってトスカーナの逸名工房によって伝説の通り12世紀頃に製作された騎士用の剣であると判断したとのこと。
アーサー王物語で岩エクスカリバーをから引っこ抜く描写が出てくるのは13世紀頃とされています。
ガルガーノの剣がアーサー王伝説のモデルになった可能性はあるものの、、エクスカリバーのモデルはガルガーノの剣の他にも、ケルト神話のカラドボルグやローランの歌のデュランダル説にもみられます。
ちなみに、アーサー王伝説でのエクスカリバーのエピソードにも諸説あり、岩に刺さっていたのはエクスカリバーではないという説があります。
選定の剣が折れた後に手に入れたのがエクスカリバーという説もあるようです。
サン・ガルガーノ修道院の剣も、本当に剣が岩に刺さったわけではなく、本来は岩の裂け目に剣が差し込まれていたそうです。16世紀の記録によれば昔は裂け目から剣を見ることができたそうです。
現在では盗難対策のため岩と同じ色合いのセメントが割れ目に流し込まれてをしていることから、見た目上、完全に岩に埋まっているように見えます。