銀閣(慈照寺)が銀じゃないのに銀閣寺と呼ばれる理由は?

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慈照寺はなぜ銀閣と呼ばれのでしょうか?

金閣とは違い慈照寺観音殿は銀が張られていないのに、何故「銀閣」という俗称なのでしょうか?

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銀閣(慈照寺)が銀じゃないのに銀閣寺と呼ばれる理由は?

慈照寺は銀じゃないのになぜ銀閣と呼ばれのかというと、

金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣と通称される慈照寺観音殿には銀箔は使用されていない。「当初は名前のとおり銀箔を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説や、「銀箔を貼る予定であったが、その前に義政が他界してしまった」という説、「外壁の漆が光の加減で銀色に輝いて見えたから」という説がある。
また、「当初は銀で覆われていたが、剥がれ落ちてしまった」という説もあるが、2007年1月5日に行われた科学的調査によって創建当時から銀箔が貼られていなかった事が明らかになっている。
ちなみに、義政の妻・日野富子は資金援助を一切しなかったという話がある。

という解説がウィキにみられます。

しかし、本来銀箔を貼るような発想があったかどうかも怪しいです。そういう文献も無いはずです。

私たちが知ってる俗称、金閣寺も金閣と言う名前ではなく正式名称は鹿苑寺の舎利殿。金を貼ったので後世に金閣という名称で通称されるようになっただけです。

銀閣寺も正式名称は慈照寺の観音殿。銀閣寺を建てたのは金閣を建てた足利義満の孫である義政ですが、銀閣は(銀を貼ると言う事ではなく造営に関して)金閣と言われる観音殿を造ったことにならってそういう楼閣を造ったとされています。

この為もあって、後世に祖父が造った金閣と対比させて「銀閣」という通称で呼ばれる事になりますが、金(すでに後世には通称である金閣と呼ばれていたので)に対比させて「銀」名称を使ったのではないか?と思われます。
あくまで対比でそう呼ばれただけであって、漆が銀色とかの諸説も後付の話でしょう。

まとめ:銀閣(慈照寺)が銀じゃないのに銀閣寺と呼ばれる理由は?

足利八代将軍義政がまつりごとに倦み、俗世を離れたくてお爺さんの三代将軍義光の「金閣」を模して建てた寺が「銀閣」です。

慈照寺観音堂を銀閣寺と呼ぶようになったのは二説あります。

1.銀箔を張るはずだったが、応仁の乱の混乱などによって財政が苦しく、実現しなかった。

2.元々銀箔など貼るつもりは無かったが、金閣寺(鹿苑寺観音堂)を模して作った為、江戸時代初期頃から北山の金閣寺に対して、東山の銀閣寺と呼ばれるようになった。

銀閣は元々義政の別荘であり、彼の遺言によって寺に改装された物で、これから考えると2が正しいような気がします。

「銀箔は貼られていたものの、長い年月の間に剥がれてしまった」も昔はあったようですが、2009年11月、京都府の銀閣の修理における外壁のサンプル調査によって銀は検出されなかったことからこの説は否定され、当初から銀箔は貼られていなかったということになります。

創建当初、銀閣の外壁には銀箔ではなく、黒漆が塗られていました。ただ長い年月の経過により、殆ど漆は剥がれて板がむき出し状態になっているとのことです(京都府は創建当初のように黒漆を塗る計画をたてましたが、慈照寺側は強い難色を示したという)。

この銀閣の呼称ですが、単に北山の金閣に対峙することから、こう呼ぶようになったといいます。また銀閣の呼び名は江戸時代に入ってからであり、正式名は「慈照寺・観音殿」です。

銀閣(慈照寺)が銀じゃないのに銀閣寺と呼ばれる理由は?ネットの口コミは?

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