ごんぎつねは新美南吉による作品で小学校の国語の教科書にしばしば採用されています。
ごんぎつねの簡単なあらすじは?また、ごんぎつねを通じて作者が伝えたいこと・教訓は?
ごんぎつね簡単なあらすじは?
両親のいない小狐ごんは村へ出てきては悪戯ばかりして村人を困らせていた。ある日ごんは兵十が川で魚を捕っているのを見つけ、兵十が捕った魚やウナギを逃すという悪戯をしてしまう。それから十日ほど後、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親のために用意していたものだと悟り、後悔する。
母を失った兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いのつもりで、鰯を盗んで兵十の家に投げ込む。翌日、鰯屋に鰯泥棒と間違われて兵十が殴られていた事を知り、ごんは反省する。それからごんは自分の力で償いをはじめる。しかし兵十は毎日届けられる栗や松茸の意味が判らず、知り合いの加助の助言で神様のおかげだと思い込むようになってしまう。それを聞いてごんは寂しくなる。
その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十は、またいたずらに来たのだと思い、ごんを撃ってしまう。兵十がごんに駆け寄ると土間に、栗が固めて置いてあったのが目に留まり、はじめて、栗や松茸がごんの侘びだったことに気づく。
「ごん、おまえ(おまい)だったのか。いつも、栗をくれたのは。」と問いかける兵十に、ごんは目を閉じたままうなずく。兵十の手から火縄銃が落ち、筒口から青い煙が出ているところで物語が終わります。
ごんぎつね教訓・伝えたいことは?
読後の感想が分かれ、読み応えのある作品です。
二つの「死」が出てきます。
※ごんのいたずらのためにうなぎを食べさせてあげられなかった息子(兵十)の母親の死
ここに重点を置いて読んだ場合、ごんのいたずらの是非について深く考える。
※ごんの死
ここに重点を置いて読んだ場合、いたずらのあとの報いは適切だったか否かについて
深く考える。
草稿(作者の下書き)の段階では、倒れたままうなずくごんが「うれしくなった」とあります。
ごんは撃たれて死んでいく最期にでも、自分のつぐないの気持ちやそれを表した行動がやっと兵十に伝わり理解されたことをうれしく感じたということですね。
本稿ではその心情描写を削除して、はっきりさせずぼかしてあるということは、読者に考えることをうながすためではないかと思います。
ごんの後悔、反省の気持ち、兵十に対する償いと思いやり、それが伝わらないことをもどかしく不満に思いながらも投げ出さずに続けている気持ちを考えながら読んできて、結末ではごんはどういう思いになったのか。
兵十はどうか。
それらを読者はどう感じどう考えるか。
当事者である登場人物の心情を考え、それについて、結末についても傍観者である読者がどう考えるかっていうことが大切であって、「このお話はこういうことを言っているものですよ」と結末の意味を定形の答えにして与えられるのではむしろ意味が薄れてしまうタイプの話なのではないかと思います。