映画「グレムリン」でグレムリンのモデルは日本人?
映画「猿の惑星」に出てくる猿は日本人だという説もありますが、映画「グレムリン」も日本人がモデルになっているんでしょうか?
グレムリンのモデルは日本人?
グレムリンはwikipediaによると、戦前の欧米から見た黄禍論(テクノロジーをもって発展する黄色人種に対する脅威論)の象徴とする説が根強くあるそうです。
ギズモは普段の大人しそうな日本人を表し、グレムリンは夜行性である日本人の本性だとするもの。
ギズモとは小さい機械、仕掛けなどの「カラクリ」を表す言葉で、グレムリンとは機械にまつわる妖怪
「グレムリン」はロシアの伝説に出てくる飛行機を墜落させるという怪物で、ゲゲゲの鬼太郎にはかなり、古くから登場している。(「妖怪ラリー」など。)
つまり、日本製のネジだとかクルマだとかメイドインジャパンは信用ならない、という考え方が背景にあるとされ、実際に映画ではおっさんがやたらと外国製を嫌っていたのも当時の世界的にメイドインジャパンを快く思っていなかった人も少なくなかったのでしょう。
ちなみに、この映画の数年前に製作された「世にも不思議な物語」というオムニバス・ホラー作品ではジョージ・ミラー監督の短編にすでに「グレムリン」という怪物が登場しているそうです。
引用:https://ja.wikipedia.org/
映画公開当時は日米経済摩擦が問題になっており、変身後のグレムリンは「集団で自分たちに危害を加える日本人」をイメージした、という説が噂された。これはグレムリンがチャイナタウン由来のものであることなどから想起されたものであると思われるが、物語のラストでミスター・ウィングは、ルールや自然との調和を重視しない人間を批判し、「責任のない社会は希望のない社会。責任とは大事が起きるのを見越して賢明な行ないをすること。事が起きた後でそうするのは経験であり反省だ」と述べている。
ジョージ・ガイプによるノベライズ版(訳:浅倉久志)によると、グレムリンは外宇宙より飛来した存在=宇宙人であるという設定であり、ギズモは劇中でのグレムリンのような悪意への衝動を理性によって抑え込んでいるという描写がある。
グレムリンのモデルは日本人?あらすじは?
チャイナタウン。発明家のランド・ペルツァー(ホイト・アクストン)は、息子へのクリスマス・プレゼントを探していた。とある骨董屋でユニークな動物モグワイを見つけた。店の老主人は「モグワイは売り物ではない」という。彼は老人がいなくなったすきに老人の孫からモグワイを買い取つた゜キングトン・フォールズの自宅にもどったランドは、息子のビリー(ザック・ギャリガン)にモグワイを渡し、水に濡らしてはいけないこと、太陽光線にあてないこと、真夜中を過ぎて餌を与えてならないこと、以上3つのことを守るように告げた。ビリーはモグワイをギズモと名付ける。翌日、ビリーと仲の良いピート少年(コリー・フェルドマン)が遊びに来て、ギズモに水滴をかけてしまった。すると気泡ができ、そこが膨張してはじけ、玉がころがり出た。その玉もモグワイで、5匹の新しいモグワイが誕生したのだ。その中の1匹、頭の毛の白いストライブと名付けられたモグワイには、敵意が感じられた。ビリーは母校へ行き生物教師ハンソンに、モグワイの一匹を見せる。ビリーの勤める銀行は、ディーグル夫人(ポリー・ホリディ)が経営していた。ビリーは同じ出納係のケート(フィービー・ケイツ)に惹かれていく。ストライプたちは餌をほしがり、時計をとめていたので、真夜中を過ぎているとも知らず餌をやり、モグワイは変身をし、繭から醜悪な怪物に変身していった。農夫のフッターマンは、外国製の車には空にすむ怪物グレムリンがいるんだと、ぶつぶついっていた。ストライプをリーダーにした怪物たちは大繁殖して、小さな町キングトン・フォールズは占領された。怪物たちは、バーで酔っぱらい、ハンソン先生、ディーグル夫人宅、フッターマン宅を襲い、ぺルツァー宅では母親のリン(フランセス・L・マッケイン)が、怪物相手に大奪闘していた。怪物たちはやがて、映画館に集合し、みんなで「白雪姫」を鑑賞する。そのすきにビリーとケイトはボイラーのガス栓をあけて火をつけたので、映画館は爆発した。1匹だけ生き残ったストライブは百貨店に逃げ込み、その後をビリー、ケイト、ギズモが追った。すばしこいストライプとの攻防戦が展開され、ビリーは苦戦を強いられた。しかし、ギズモの必死の活躍でストライプは太陽光を浴び、滅んでいった。クリスマスの夜、ペルツァー家に、中国人の例の老主人が現われて「モグワイは特別な生物で、飼うのは大変な責任を負うということだ。おまえさんたちはまだまだだね」というと、ギズモをつれて去っていった。