本多正識さんはオール阪神・巨人などの放送作家を務め、吉本総合芸能学院(NSC)の講師として数多くの若手芸人を指導してきた実績の持ち主。
ナインティナインのブレイクのきっかけを作った立役者としても知られる本多正識さんの気になるプロフィールをまとめています。
本多正識wikiプロフィール
名前:本多正識(ほんだ まさのり)
生年月日:1958年
年齢:62歳
出身地:大阪府高槻市
職業:漫才台本作家、構成作家、
本多正識さんが漫才作家を志すきっかけとなったのがラジオ大阪「Wヤングの素人漫才道場」でした。
1979年から番組コーナーあてに投稿した漫才台本が11本連続で採用されると、その後は、
なんばグランド花月舞台制作ブレーン、よしもと漫才劇場総合アドバイザーを務める傍らで、
吉本総合芸能学院(NSC)講師
よしもとクリエイティブカレッジ(YCC)講師
大阪シナリオ学校講師
で、若手芸人の育成にも力を注いでいます。
本多正識の経歴
本多正識さんは大阪シナリオ学校通信教育部を卒業後、1983年に漫才作家集団「笑の会」に参加し本格的にお笑いの道に進んでいます。
1984年にオール阪神・巨人の台本を執筆しブレーンの1人となったことを皮切りに、
今いくよ・くるよ
中田カウス・ボタン
宮川大助・花子
トミーズ
ハイヒール
大木こだまひびき
他多数の漫才師に台本を提供し、吉本新喜劇でも台本を提供しています。
1990年からはNSC、2008年にはYCCの講師に就任するとこれまでに担当した生徒数は1万人を超え、その中には、
ナインティナイン、ほっしゃん。(現・星田英利)、宮川大輔、ジャリズム、矢野・兵動、中川家、メッセンジャー、陣内智則、野性爆弾、ケンドーコバヤシ、次長・課長、ブラックマヨネーズ、チュートリアル徳井、レギュラー、麒麟、キングコング、友近、ジャルジャル、天竺鼠、銀シャリ、かまいたち、
といった今やメディアの第一線で活躍を続ける数多くの芸人を世に送り出しています。
ナインティナイン(NSC大阪9期生)は本多正識さんが初めてNSCの講師をしたときに指導したそうで、
当時は岡村隆史ツッコミ、矢部浩之ボケだったところを、最初の授業で「ボケとツッコミが逆や」と指摘し役割を変えさせたエピソードが有名です。
ちなみに、先ほどのアドバイスに加えて「お前ら、絶対に売れるから」とみんなの前で公言したともいわれています。
他にも広島出身・在住だったアンガールズは、広島で吉本興業主催の素人参加OKのお笑いライブで
本多正識さんから「君たち、東京に行きなよ!」と言われたことが芸人を目指すきっかけとなったと話しています。
ただ後日談として、本多正識さんは「基本的に素人さんが出てくるやつだから、ただ褒めただけ。人前でしゃべれているだけで『よくやった!』」ということで、
「まさか本当に東京行くとは思いませんもんね」と告白しています。
他にも「M-1グランプリ」、「キングオブコント」、「THE MANZAI」では審査員を務め、
2017年度後期のNHK連続テレビ小説『わろてんか』では脚本協力・漫才指導で参加協力しています。
■本多正識の著書
「吉本芸人に学ぶ 生き残る力」
「芸人志願 ~お笑いタレントを目指すキミへ~」
「漫才 言葉を伝える熱意を軸に」
「漫才 「一瞬屋」が生まれる時代へ」
■吉本芸人に学ぶ 生き残る力
社会を生き抜き、生き残るため術を吉本芸人の生き方から学ぶ
舞台の上では人を笑わせ、時には笑われる彼らだが、その舞台に立つまでの姿はただ面白いだけの人間ではない。
芸を磨くための芸能界という弱肉強食の世界を生き抜いたサバイバルの達人なのだ。
漫才の練習は見ている者が笑えないくらいに必死にやるのは当たり前。ネタを作るために新聞も読めば、経済ニュースにも目を通し、流行には常に目を光らせる。
先輩後輩、裏方さんへのあしらいもさらりとやってのける。言うなれば、お笑い芸人とは常識を知り尽くしたからこそできる“非常識な人たち”なのかもしれない。
そんな常識を極めて厳しい芸人の世界で生き残る術を教えているのが、著者の本多正識氏だ。本多氏は吉本NSCの講師としてナインティナインの岡村隆史を始め、
数多くの一流芸人を育て上げた。
一般の人には本多正識という名前はほとんど知られていない。しかし、関西を中心としてお笑いの世界で本多氏を知らぬ者はいないという名伯楽である。
本多氏の初の著書となる「吉本芸人に学ぶ生き残る力」では、吉本芸人たちのエピソードや自身の経験を交えながら、
社会で生き抜く術、生き残る力とは何なのかを解説していきます。
本多正識のツイッターやインスタグラム
本多正識さんはツイッターやインスタグラムにはアカウントを開設していないようです。