出井伸之さんはかつてソニーで会長兼CEOを務めた経営者。
退任後は経営コンサルティングや投資をおこなう「クオンタムリープ株式会社」を設立し、晩年は「こいのぼりの会」などを通じてベンチャー企業の育成に尽力していました。
出井伸之の生い立ちは?
出井伸之さんは5人兄弟の末っ子。
出井伸之さんの母は東京・御茶ノ水の医者の元に1897年(明治30年)の生まれで洋裁店を営む職業婦人。
出井伸之さんの父・盛之(せいし)さんは栃木の商人の家庭に生まれ、後に早稲田大学の教授と東洋経済研究所の責任者を兼任した経済学者。
お見合い結婚すると父親はジュネーブの国際労働機関勤務を経て帰国。
出井伸之さんが誕生したのは帰国後のこと。
長男:出井譲治
長女:出井米子(外務省 河合俊三の妻)
二女:出井真理(住友化学工業 塚本博の妻)
三女:出井洋子
二男:出井伸之
ただし兄の譲治さんは16歳のときに病気で亡くなっています。
出井伸之の若い頃は?
出井伸之さんは小学校から中学まで成城学園に通い、高校は早稲田大学高等学院を経て早稲田大学政治経済学部に進学しています。
ソニーとの縁は早くも、創業者の一人、井深大さんの娘が成城学園小学校で同級生という形で生まれています。
そこで、東京・品川にあるソニーの本社まで行って、人事部に「井深さんに会わせてください」と頼みました。今振り返ると恐ろしいことですが、それでも気軽に会わせてもらえた。「自由な会社だな」と思いましたね。
当時のソニーは日本初のトランジスタラジオを発売。
2年後には当時としては世界最小のラジオを売り出し、「ポケッタブル」という造語も生まれるなど新しい時代を象徴するような会社として注目されつつありました。
出井伸之さんはソニーの本社まで行って人事部に「井深さんに会わせてください」と直談判。
現在なら門前払いされそうな所ですが、当時のソニーはベンチャー企業そのものだったこともあ気軽に会わせてもらうと「僕はこの会社をヨーロッパで伸ばします」と提案し採用されます。
「実習を受け付けているので、明日からいらっしゃい」とのことで、次の日から大学の制服を着たまま毎日実習にに通い、その翌年にソニー入社。
入社後はすぐに留学を経て本格的にソニーの社員として東京、スイス・ツークでの勤務を経て、パリに赴任。
パリの目抜き通りにショールームを設けるなどソニー・フランスの設立に尽力。
その後は社長、会長兼最高経営責任者(CEO)を歴任。退任後、産業活性化や新産業、新ビジネス創出を目的とする「クオンタムリープ株式会社」設立。