「池に落ちた犬を叩く(打落水狗)」の意味は?
この言葉は本来の意味とは異なる解釈で広まってしまっているのでしょうか?
池に落ちた犬を叩く(打落水狗)意味は?語源は?
「池に落ちた犬を叩く」という言葉は、中国の文豪である魯迅が唱えた思想から生まれた言葉です。本来の意味は、「水に落ちている犬は助けるべきではない。むしろ、徹底的に叩いて沈めてしまえ」というものです。
この言葉は、当時の中国社会における腐敗した権力者や、革命を妨害する勢力に対する魯迅の強い批判を込められています。弱者に対して情けをかけるべきではない。むしろ、徹底的に打倒して新しい時代を築くべきだという思想を表現したものです。
しかし、この言葉は本来の意味とは異なる解釈で広まってしまうことも少なくありません。例えば、「困っている人をさらに追い込むべきだ」というような、冷酷な考え方を正当化するために使われることがあります。
「池に落ちた犬を叩く」という言葉を使う際には、その本来の意味と、現代社会における解釈の違いを理解しておくことが重要です。
魯迅の阿Q正伝|池に落ちた犬を叩く(打落水狗)
当時の中国社会は、腐敗した権力者や革命を妨害する勢力によって苦しめられていました。魯迅は、このような状況に対して強い怒りと批判を抱いていました。
- 言葉の意味: 弱者に対して情けをかけるべきではない。むしろ、徹底的に打倒して新しい時代を築くべきだ。
- 現代社会における解釈: 困っている人をさらに追い込むべきだ。
- 注意点: この言葉を使う際には、本来の意味と現代社会における解釈の違いを理解しておくことが重要です。
池に落ちた犬を叩く(打落水狗)例文
政治家は、たとえスキャンダルで失墜しても、権力にしがみつくべきではない。まさに「池に落ちた犬を叩く」べきだ。
企業は、不正行為が発覚しても、すぐに謝罪して改めるべきではない。「池に落ちた犬を叩く」ように徹底的に叩かれて、二度とこのようなことを起こさないようにする必要がある。
私たちは、弱い立場の人に対して、冷酷な態度を取るべきではない。「池に落ちた犬を叩く」ような考え方は、絶対に許されない
まとめ:池に落ちた犬を叩く(打落水狗)意味は?語源は?魯迅の阿Q正伝?
「池に落ちた犬を叩く」という言葉は、中国の文豪・魯迅が唱えた思想から生まれた言葉です。本来の意味は、「水に落ちた犬は打たない」という中国の諺を皮肉的に逆転させたものです。
■本来の意味:
中国の諺では、「水に落ちた犬は打たない」という言葉は、「弱っている相手に追い打ちをかけるのは卑怯な行為である」という意味で使われます。これは、相手が弱っている状況に乗じて攻撃するのは武士道に反するという考えに基づいています。
■魯迅による逆転:
しかし、魯迅はこの言葉を皮肉的に逆転させ、次のように主張しました。
弱っている犬は、助けられても恩義を感じるどころか、また反撃してくる。だから、水の中にいるうちに徹底的に叩いておけ。
つまり、「相手が弱っているからといって油断してはいけない。むしろ、徹底的に叩いておかなければ、いつか反撃されてしまう」という戒めの言葉として用いたのです。
■背景:
魯迅がこのような思想を唱えた背景には、当時の中国社会における権力闘争や内戦などの厳しい状況がありました。弱者が容赦なく弾圧される一方で、権力者たちは不正を働いても糾弾されることなく、むしろさらに権力を強めていくという現実を目の当たりにした魯迅は、このような状況を打破するためには、弱者を守ることよりも、権力者を徹底的に叩き潰すことが必要だと考えたのです。
■現代社会への意味合い:
「池に落ちた犬を叩く」という言葉は、現代社会においても様々な場面で用いられています。例えば、企業間の競争や政治の世界において、弱っているライバルを徹底的に叩き潰すという戦略を指すために使われることがあります。
しかし、この言葉には、弱者を容赦なく攻撃するという側面だけでなく、「油断は禁物」や「敵に対しては甘く見てはいけない」という戒めの意味も込められています。