生島ヒロシさんは元TBS勤務のアナウンサーで現在は芸能事務所・生島企画の会長。
数多くの番組に出演し、タレント業もこなしてきた生島ヒロシさんが「徹子の部屋」に登場。
生島ヒロシさんの気になるプロフィールをまとめています。
生島ヒロシの自宅・事務所はどこ?
生島ヒロシさんの自宅の場所は、具体的な情報はわかりませんが、東京の世田谷区という高級住宅街にあるようです。最近では芸能人の自宅が世田谷区に集まる傾向があるようですね。
自宅は4億円で建設された豪華なもので、内装も非常に素晴らしいと言われています。生島ヒロシさんは毎年さまざまな場所をリフォームしているそうです。一般の人には考えられないような贅沢さですね。
具体的な場所まではわかりませんが、自宅の内装は白を基調とし、非常に高級感があります。27年前に4億円で購入されたそうですが、その後のリフォーム費用も相当な金額がかかっているようです。
また、自宅の玄関には伊達政宗の甲冑が飾られているそうです。
生島ヒロシの年収は?
生島ヒロシさんの年収について、局アナ時代の年収は、辞めた当時で年間1200万円だったそうです。TBSのアナウンサーとして働いていたので、やはり給料は高かったようですね。
フリーになってから3年後には、年収が3億6000万円になったそうです。テレビ番組の司会や「ヒロシとDr.天野の健康サロン」、ドラマ「水戸黄門」のナレーション、ラジオ番組などの仕事もあります。また、東北福祉大学の客員教授としての仕事や講演活動も行っています。さらに、株式会社生島企画室の代表取締役会長でもあります。
しかし、独立後は波乱の道のりで、バブル崩壊後には10億円もの借金を背負っていたこともあると「徹子の部屋」で話しています。
生島ヒロシさんはファイナンシャルプランナーの資格を活かした書籍も多数出版しており、印税も入っているそうです。さまざまな肩書きで活躍されています。
具体的な数字はわかりませんが、これらの収入を合わせると現在でも年収は億単位になる可能性があります。そのため、豪邸を所有することも可能なのかもしれませんね。
生島ヒロシの家族|兄弟は?
生島ヒロシさんは妹1人と弟が2任いる4人兄弟です。
末の弟さんの生島淳さんはスポーツジャーナリストをしています。
国内スポーツの取材、執筆ほか、アメリカのスポーツの翻訳や、番組キャスターとしても活動されています。
二番目の弟さんは生島ヒロシさんが立ちあげたプロダクション会社の株式会社生島企画室の社長を務めています。
生島ヒロシの家族|母親・妹は?
生島ヒロシさんの妹の名前は喜代美さん。
地元の気仙沼市で暮らしていたようですが、東日本大震災で行方不明となると遺体は震災半年後の9月になってようやく、消息が分からないまま執り行うことになった葬儀当日に発見されたそうです。
母は当時、妹と暮らしていたそうですが地震が来る前日に亡くなったそうです。
生島ヒロシの経歴
生島ヒロシさんは、1976年にTBSに入社。
新卒採用の最終面接ではなんと当時の社長らを前に「いずれ独立する」と宣言。
しかし、型破りなキャラクターが逆に心をつかみ、TBSに採用されました。
ラジオ番組を振出しに、アナウンサーとして活躍しています。
13年後の1989年、生島ヒロシさんは宣言どおりにTBSを退社。退社すると同時に、芸能プロダクション『生島企画室』を立ち上げています。
生島ヒロシ現在は『おはよう一直線』(ラジオ番組)
生島ヒロシさんは現在ラジオ番組『生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線』(TBSラジオ系)のパーソナリティを務めています。
番組のコンセプトは「聴くスポーツ新聞』ニュース、スポーツ、健康、シニアライフ、介護などを生島ヒロシさんが分かりやすく、元気に伝えています。」
生島ヒロシさんはこれまで200人以上の医師にインタビューを行ってきたことから実は健康オタクで知られています。
日々の体調管理には人一倍厳しい生島ヒロシさんに支えられて1998年にスタートした番組は放送5千555回には東日本大震災の被災地、福島県から公開生放送されました。
名前:生島ヒロシ
生年月日:1950年12月24日
年齢:72歳
出身地:宮城県気仙沼市
所属事務所:生島企画室
出身高校:宮城県気仙沼高等学校
出身大学:法政大学経営学部
最終学歴:カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科
資格:ファイナンシャルプランナー、福祉住環境コーディネーター、金融知力インストラクター、ヘルスケアアドバイザー、防災士、eco検定(環境社会検定試験)、NPO日本食育インストラクター、
生島ヒロシの高校や大学、中学の学歴は?
生島ヒロシさんの通っていた高校・大学は次のとおりです。
出身高校:宮城県気仙沼高等学校
出身大学:法政大学経営学部
最終学歴:カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科
カリフォルニア州立大ロングビーチ校にはもともと目的があって留学したわけではなく成り行きで入学することになったそうです。
留学中はアメリカ人のお金持ちの家に住み込みでメイドをしたり、園芸店で働いたり、皿洗いをしたり、ディズニーランドではタオルやシーツの片付けなどのハウスキーパーなどなどバイトにも励んでいたそうです。