「俺ら東京さ行ぐだ」は歌手の吉幾三さんがが作詞・作曲を手掛けた楽曲で、全国的大ヒット曲となりました。
主人公が生まれ育った「無い物尽くし」の田舎が嫌になり、東京へ出ようとする歌詞が当時の田舎暮らしの若者の心にぐさりと刺さりました。
俺ら東京さ行ぐだの元ネタはモデルの村・場所はどこ?#水ダウ
「俺ら東京さ行ぐだ」は1985年屈指の注目曲とされながら、歌詞の中に「レーザーディスク」という実在の商品名などが出てくる点が問題視されたのか、その年の第36回NHK紅白歌合戦の出演はなりませんでした。
なお、「行くだ」は誤りであり、正しくは「行ぐだ」である。
都会に憧れる田舎の若者をストレートに歌い上げる自虐的な歌詞がヒットした大きな要因ですが、俺ら東京さ行ぐだの元ネタとなった具体的なモデルの村は特にないようです。
しいて言えば「俺ら東京さ行ぐだ」を生み出した吉幾三さんの出身地青森県北津軽郡金木町(現:五所川原市)があげられます。
「俺ら東京さ行ぐだ」が流行している最中には金木町の住民を中心に「うちはそんなに田舎じゃない」と猛抗議を受けたと吉幾三さんは話しています。
また、日本中の小さな農村から「ふざけるな!!」「私たちの村を馬鹿にしてるのか!?」と凄い数のクレームが押し寄せてきたとも語っている。
一方で、曲の全国的大ヒットを喜ぶ人も金木町に多くいたそうです。
ちなみに、「俺ら東京さ行ぐだ」レコードのジャケット写真は北海道増毛町で撮影したそうです。
俺ら東京さ行ぐだの元ネタ・モデルを水ダウが調べた結果…
「俺ら東京さ行ぐだ」が発表された当時の金木町には電気ガス水道のライフラインは一通りそろっていて、テレビも映るし各家庭に電話も繋がっていたようです。
ただ吉幾三さんが「田舎を出てきたときの気持ちを歌にしようと思った。」という頃の金木町は、電気は通っていたものの電話は特定の家にしかおいていなかったようです。
カラーテレビも既に購入していた家もあったそうですが、吉幾三さんの実家は、吉さんいわく「町一番の貧乏家庭」だったそうで、本当にテレビもラジオもなかったとか。
つまり金木町というより、吉さん宅の事情を嘆いて歌った曲なのかもしれません。
そんな「俺ら東京さ行ぐだ」で歌われている村についてバラエティー番組「水ダウ(水曜日のダウンタウン)」が調査を実行。
どこか特定の村や地域をモデルにしたわけではないとしつつ、アフリカ大陸ケニア共和国のサマリア村が、世界で最もこの曲とシンクロする村として紹介していました。
俺ら東京さ行ぐだの元ネタよりアレンジのモデルがすごい!
「俺ら東京さ行ぐだ」は当時の邦楽としては画期的なほどに韻を踏んだラップテイストで、同じ1984年発売で佐野元春の「COMPLICATION SHAKEDOWN」や、アルバム『VISITORS』とともに日本語ラップの元祖と称されています。
IKZOブーム
2008年4月頃から、ニコニコ動画やYouTubeなど動画共有サイトを中心に、他のアーティストの楽曲と「俺ら東京さ行ぐだ」のマッシュアップ動画が活発に投稿されるようになりました。
ニコニコ動画内ではアレンジされた吉幾三さんを「IKZO (IKUZO) 」の愛称で親しまれるようになり、IKZO (IKUZO) は実は世界で知られる存在となっていきます。
2021年にはカプコンのサバイバルホラー「バイオハザードヴィレッジ」の公式イメージソングとして「俺らこんな村いやだLv.100」なるバージョンをバイオハザード公式も公開され、吉幾三さん本人が歌唱しています。