磯崎功典さんは日本を代表するビバレッジ企業「キリンビール」の社長を務めている方で、過去にはホテル経営なども手掛けています。
カンブリア宮殿にも出演をした磯崎功典さんの気になるプロフィールをまとめています。
磯崎功典wikiプロフィール
名前 : 磯崎功典(いそざき よしのり)
生年月日 : 1953年8月9日
年齢:68歳
出身地 : 神奈川県小田原市下曽我
出身高校 :神奈川県立小田原高校
出身大学 : 慶應義塾大学経済学部
磯崎功典さんはキリンビールで社長を務めていますが、キリンビールといえばアサヒスーパードライからビール王者の座を奪回するための裏舞台を描いた本も有名ですね。
■概要
当時のキリンはビール市場で6割余りのシェアがあり、独占禁止法に触れる恐れがあるとして、公正取引委員会が分割を検討したほど
1980年代後半、それまで国内シェアトップだったにも関わらず、ライバル会社の登場により業績不振に陥ったキリンビール。そんな中、高知支店に移動となった田村潤は、試行錯誤を重ねて業績を回復させた
――地方のダメ支店発、キリンビールの「常識はずれの大改革」が始まった!筆者はキリンビール元営業本部長
磯崎功典の経歴
磯崎功典さんは大学卒業後、キリンビールに入社をすると神戸支店に7年勤ほど務め、スーパーでチーズの売上を伸ばすなど業績を残しています。
東京本社の事業開発部に異動すると、当時の上司で後に社長となる荒蒔康一郎さんの助言を受けて、ホテルやレストランの経営が学べる米コーネル大学に海外留学。
帰国すると実際に兵庫県の尼崎工場の跡地に建設することになったホテルの経営に携わることになるものの、
周りも工場ばかりでで、誰もがうまくいくはずがないと考えていたようです。
磯崎功典さんはそこで遠方から宝塚の観劇に来る人のための宿泊場所として紹介してもらえないかと、
元阪急電鉄社長の小林公平さんがうちのホテルへ視察に来た時に直談判。
宝塚歌劇団の関連会社が発行するファン向け広報誌に当然ながら阪急グループ以外のホテルの広告しか掲載されていませんでしたが、
交渉の末にホテル広告を掲載してもらえるようになり、稼働率を一気に跳ね上げることに成功しています。
こうした実績を引っ提げて2007年に本社の経営企画部長になりますが、グループの事業をビールや飲料に集中させることに伴い、
10社くらいのグループ企業を売却する必要があったことから、尼崎のホテルの売却を決断
まずは自分が手がけた事業を手放すことで、なかなか説得に応じてくれない各社の社長に模範を示しています。
■磯崎功典の略歴
1977年 – キリンビール株式会社 入社 神戸支店[要出典]
1984年 – 事業開発部国内事業開発担当[要出典]
1988年 – 海外留学(米国 コーネル大学ホテル経営学部)[要出典]
1991年 – 事業開発部(ロスアンゼルス駐在)[要出典]
1992年 – 経営企画室[要出典]
1995年 – ビール事業本部企画部[要出典]
1998年 – キリンホテル開発株式会社[要出典]
1999年 – ホテル<ホップインアミング>総支配人[要出典]
2001年 – 広報部 担当部長[要出典]
2004年 – サンミゲル社(フィリピン)副社長[要出典]
2007年 – 経営企画部 部長[要出典]
2007年 – キリンホールディングス株式会社 経営企画部長[要出典]
2010年 – 〃 常務取締役[要出典]
2012年 – キリンビール株式会社 代表取締役社長[要出典]
2013年 – キリン株式会社 代表取締役社長 兼 キリンビール株式会社 代表取締役社長[要出典]
磯崎功典の高校や大学など学歴は?
磯崎功典さんは神奈川県立小田原高校を卒業後、慶應義塾大学経済学部に進学をしています。
順風満帆な学生時代を過ごしているように見えますが、磯崎功典さんは若いうちに相当の九郎を経験しています。
父親が日本専売公社(当時)の小田原工場勤務とミカン農家を兼業する家に生まれ増すが、
中学校3年生の時に父親が脳梗塞で倒れて家計が傾くと、母親が夜も洋裁を教えて稼がなければいけなくなります。
そんな中、母親が軽い交通事故を起こしたことをきっかけに、高校年生で吹奏楽部を辞めてミカン農園の手伝いをするように。
管理する人がいなくなった畑は、あっという間に荒れてしまいました。「これはいけない」と思い、授業か゛終わると、すぐに帰り、近所の農家の指導を受けながら、一生懸命に作業をしました。
大学には進学するつもりはなかったものの、父親が奇跡的に回復し後遺症は残るものの職場復帰を果たすことができ、猛勉強の末に慶応義塾大学に合格を果たしています。
磯崎功典の息子や家族は?
調査中
磯崎功典の年収は?
キリンビールの発表資料によると、磯崎功典さんの年収は2.11億円(基本報酬:9100万円、賞与8200万円、株式報酬:3900万円)
ちなみに、代表取締役副社長の西村慶介さんが1.22億円で、賞与と株式報酬に倍の開きがありました。