違和感を感じるは間違い・二重表現?覚える?生じる?

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「違和感を感じる」は二重表現になるので間違いなんでしょうか?それとも間違っていない?

「違和感を感じる」ではなく「違和感を覚える」「違和感を生じる」が正しいのでしょうか?

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違和感を感じるは間違い・二重表現?覚える?生じる?

「違和感を感じる」という日本語の使い方について、辞書の例文として、「違和感を覚える」や「違和感を持つ」が載ってます。

ここでの「覚える」は記憶するという意味ではなくて自覚する、認識するという意味です。

「違和感を感じる」も一般には使われていますが「感じる」も「覚える」も下記のとおり意味は同じですので、「感じる」が重言なら、「覚える」も二重表現となりそうです。

「違和“感”を”感”じる」よりも、「違和感を覚える」のほうが、表記上では重なる文字がないので、二重表現という感じがしないというだけではないでしょうか。

『明鏡国語辞典』編者の北原保雄氏も次のように書いています。
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「違和感を覚える」と言い換えたほうが重複感が少なくなり、表現効果はありますが、「覚える」も意味的には結局「感じる」ことであり、あまり違いはないように思われます。
「続弾!問題な日本語」(北原保雄 編著、㈱大修館書店 発行)
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「覚える」は、「名前を覚える」のように、記憶する意や、「こつを覚える」のように、体得する意でも用いられ、また、「覚える」のほうが、やや硬い言い方ですが、
「感じる」「覚える]は、どちらも<感覚器官を通じて、外からの刺激を知る>という共通した意味があります。
「感じる」「覚える」は、「事故を起こした責任を感じる」「彼女といると安らぎを覚える」のように、外からの刺激を知覚し、生理的な反応をするだけでなく、それにより心を動かされ、なんらかの感情を抱く意でも用いられます。

まとめ:違和感を感じるは間違い・二重表現?覚える?生じる?

「違和感を感じる」は重言(二重表現)ではありません。

きれいな表現ではないが、間違った日本語というわけではない、と思います。

二重表現(重言)の例としてよく挙げられる「馬から落馬する」「頭痛が痛い」などが、「漢字」の重複を含むために「文字」の重複を「二重表現」だと誤解される方が多いのですが、二重表現(重言)とは、「永眠して亡くなる」「女の婦人」のように「意味」が重複する表現のことです。

例に挙げた「馬から落馬」の場合は「落馬」自体に「馬から」という意味が含まれているため、更に「馬から」をつけると二重表現になるという理屈です。

一方で「違和感」は「違和を感じる」という語構造ではありません。つまり「違和感」には「感じる」という内容が含まれておらず「違和感」全体で一つの「感じ」の名称なのです。

例えば「普段着」「かっぽう着」も「普段を着る」「かっぽうを着る」という構造ではなく、どちらも「普段着」「かっぽう着」というひと続きが衣類の名称で、どちらにも「着る」という内容は含まれていません。そのため「普段着を着る」「かっぽう着を着る」と言っても二重表現にならないのです。「違和感を感じる」もこれらと同様です。

因みに「歌を歌う」「舞を舞う」なども二重表現ではありません。「歌」や「舞」は事物の名称でそれ自体には「歌う」「舞う」という意味が含まれていないからです。

参考:違和感を感じるは間違い・二重表現?覚える?生じる?

大前提として「重言」は「間違い」ではないでしょう。

「重言」にはいくつかの種類・レベルがあります。

 作家の井上ひさしは「強調表現」の一種と主張していたはずです。それもケースバイケースでしょう。

■例
炎天下の下→炎天下/炎天のもと
一番最初→最初/一番はじめ
ダントツの1位→ダントツ/断然トップ/大差の1位
過半数を超える→過半数に達する/半数を超える
思いがけないハプニング→思いがけない出来事/ハプニング
返事を返す→返事をする(「言葉を返す」だと意味がかわる。何を返せばいいのだろう)
射程距離→射程/射程圏
元旦の朝→元旦/元日の朝
お体御自愛下さい→お体にお気をつけください/御自愛下さい
あらかじめ予約する→予約する/あらかじめ申し込む
収入が入った→収入があった/○○が入った
満○周年→○周年/満○年
すべて一任する→すべてまかせる/一任する
捺印を押す→捺印する/印を押す
はっきりと断言する→ハッキリ言う/断言する
頭をうなだれる→うなだれる
秘密裏のうちに→秘密裏に/秘密のうちに
賞を受賞する→受賞する/賞を受ける
馬から落馬する→落馬する/馬から落ちる
貯金を貯める→貯金する/金を貯める

『明鏡国語辞典』編者の北原保雄氏の説を紹介します。

..「違和感を感じる」は、重言ですが、「違和の」という情報が加わっているので、それほど不自然ではない表現です。
..「~感」という語は、「安心感」「一体感」「危機感」「責任感」「不安感」「不快感」「劣等感」など多数ありますが、「~感を感じる」というのは重複表現になるから「~感を覚える」と言うべきだと考える人が多いようです。
確かに、「~感を感じる」というのは重複表現で、「感じを感じる」というのでは、表現に工夫がありませんし、新しい内容(情報)が何も加わっていません。
しかし、「違和感を感じる」となると、「”違和の”感じを感じる」ということで、「違和の」という新しい情報が追加されます。
「昔の武士の侍」「馬から落馬する」などを重言(同じ意味の語を重ねて使う言葉)といいますが、重言がよくないのは、繰り返しであって新しい情報が加わらないからです。
「昔の武士」と「侍」は同じものですし、「落馬」は「馬から」落ちることですから、「昔の武士」も「馬から」も余計な表現です。
ところが、「昔の武士の”強い”侍」「”暴れる”馬から落馬した」などのように、「強い」「暴れる」などと新しい情報を加えると、かなり自然になります。
………….(桜の)花が 開花する
………….(ノーベル)賞を 受賞する
………….(高額の)金を 借金する
..上記も( )がなければ重言ですが、( )書きの言葉を加えると、自然な言い方になります。
..以上のような論理を理解して、もう一度「違和感を感じる」について考えると、「”違和”感」を「感じる」というのですから、あまり不自然ではない言い方であるということになるでしょう。
「ふと感じる違和感について考えた」のような「感じる」が「違和感」にかかる連体用法になると、さらに自然度が増すようです。
..「違和感を覚える」と言い換えたほうが重複感が少なくなり、表現効果はありますが、「覚える」も意味的には結局「感じる」ことであり、あまり違いはないように思われます。
..「違和を感じる」ではないかということについては、「~感」という語には二種類あって、
「不安」「不快」などは、それ自体が「感じ」なので、「不安を感じる」「不快を感じる」といえますし、その方が自然な言い方ですが、
「違和」や「一体」「劣等」などは、それ自体は「感じ」ではなく、「~感」がついて初めて「感じ」の意味になる語ですから、「違和を感じる」「劣等を感じる」などは不自然になります。
【参考資料】「続弾!問題な日本語」北原保雄 編著、㈱大修館書店 発行

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