延江浩さんによる「J」は実話?
瀬戸内寂聴さんをモデルとしているんでしょうか?
J(延江浩)あらすじ
二人が出会った時、Jは85歳。
作家であり尼僧。
人生最後の恋の相手は、母袋晃平(もたいこうへい)、
IT企業を経営する37才。
Jは二十代で夫と娘を捨て出弄。男性作家と浮き名を流し、次々と問題作を発表。
五十歳をすぎて仏門に入るも創作活動はより勢いを増した。
老いてこそ身体(からだ)も心も業火のごとく
燃える愛の軌跡。
かつてない〈老いの自由〉を描き切った
痛切な純愛小説!
J(延江浩)実話?モデルは瀬戸内寂聴?
延江浩さんによる「J」に登場するJという女性について、
〇二十代で夫と娘を捨て出弄
〇男性作家と浮き名を流す
〇次々と問題作を発表
〇五十歳をすぎて仏門に入る
といった特徴から、少なくとも瀬戸内寂聴さんをモデルにしていることは間違いなさそうです。
瀬戸内寂聴さんは戦争中に結婚して北京に行き、子供をもうけましたが、帰国後に夫の教え子と恋に落ち、娘を置いて出て行きました。
しかし、その恋はうまくいかず、瀬戸内寂聴さんは自立するために小説の世界に入ることを決めました。瀬戸内寂聴さんは自分が憧れていた非凡な人やアウトローのような人になっていたと回想しています。
瀬戸内寂聴さんは昭和32年に「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」という小説で新潮社同人雑誌賞を受賞しましたが、後に「花芯」という小説の官能的な描写によって、男性中心の文壇から批判を浴びました。瀬戸内寂聴さんは「田村俊子」という小説で復活しました。この小説は、自由奔放な生き方で誤解されることも多かった田村俊子という作家の評伝です。それ以降、瀬戸内寂聴さんは才気あふれる近代日本の女性たちの人生に光を当てていくことになりました。
瀬戸内寂聴さんの代表作には、「美は乱調にあり」とその続編である「諧調は偽りなり」があります。これらの小説は、無政府主義者である大杉栄と恋に落ち、最後の編集者だった伊藤野枝の波乱に満ちた人生を描いています。また、「青鞜」という雑誌の編集者であった平塚らいてうや小説家の岡本かの子を題材にした作品もあります。瀬戸内寂聴さんは伝統にとらわれず、恋愛や思想、芸術に情熱を注ぐ女性たちの物語を自身の生き方と重ねて描いていきました。
瀬戸内寂聴さんの自伝的な小説「夏の終り」は、既婚の作家と年下の男性との三角関係に悩む主人公を描いた話題作です。この小説は映画化され、今でも人気のあるロングセラーです。
51歳で出家したことは瀬戸内寂聴さんの人生における大きな転機となりました。瀬戸内寂聴さんは一部の人気作家でありながら、内に秘めた虚無感を感じ、出家を「生きながら死ぬここと」と表現しました。瀬戸内寂聴さんは剃髪してからも酒を飲み、肉を食べるなど、世俗的な一面もありましたが、人々に親しみやすさをもたらしました。瀬戸内寂聴さんは寂庵での法話に多くの悩みを抱える人々が集まり、天台宗の開祖である最澄の「忘己利他」の精神にのっとり、人々を癒やし続けました。瀬戸内寂聴さんは川端康成さんやドナルド・キーンさんなどの文豪や学者だけでなく、俳優の萩原健一さんなどとも交流がありました。
70歳を超えた頃、瀬戸内寂聴さんは源氏物語を現代語に訳すことに挑戦しました。瀬戸内寂聴さんは「今でも非常に新しい源氏物語を国民はもっと読むべきだ」という思いから、5年の準備と5年の訳文作業をかけて、「瀬戸内源氏」と呼ばれる大作を完成させました。この訳書は平易な言葉で書かれており、「ですます調」とも評されています。
豊かな人生経験を土台にし、ユーモアと含蓄含む法話は、全国で評判となり海外からも聴聞客が訪れていましたが、令和3年11月逝去。平成18年文化勲章受章。