治部少輔とは読み方は?石田三成の後は?江戸時代は?

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治部少輔とは戦国期から江戸期にかけて、武士が任官または自称した官位の一つ。

豊臣秀吉の家臣・石田三成が治部少輔を務めていたことで知られていますが、どんな役割だったんでしょうか?

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治部少輔とは読み方は?

戦国時代、石田三成は治部少輔の官職をもらい、通称「じぶしょう」と呼ばれます。

少輔は律令制の次官の役職で長官が大輔(だいふ)です。

例えば今川義元が持っていたのが「治部大輔(じぶのたいゆう→じぶのたゆう)」です。

治部少輔は、古代日本や中世日本の官職で、宮廷(天皇の宮殿)での重要な役職です。彼らは内裏と呼ばれる場所で働き、さまざまな行政や儀式に関わる仕事を担当しました。

具体的な役割としては、以下のような業務を担当しました:

内裏の運営

儀式の管理

文書管理

石田三成は戦国時代に治部少輔として活躍しました。彼は豊臣秀吉の信任を受けて政務を担当しましたが、その活動は比較的短期間で終わりました。その後、石田三成は関ヶ原の戦いにおいて徳川家康と戦い、敗北したことで知られています。

内裏の運営

治部少輔は内裏の中で、政務や日常業務を取り扱いました。内裏は天皇の宮殿であり、彼らは内裏の運営に関わり、天皇や摂関家(貴族の家系)の指示や命令を実行しました。

儀式の管理

治部少輔は宮中で行われる儀式や祭祀の管理を担当しました。たとえば、天皇の即位式や重要な神事など、宮中で行われる儀式の進行や準備を調整しました。

文書管理

治部少輔は文書の管理と公文書の作成を担当しました。重要な文書や命令書の作成や管理を行い、必要な場面で提出される役割を果たしました。

治部少輔とは石田三成の後は?江戸時代は?

朝廷から貰った官位が「治部少輔」です、つまり三成は、天皇から「治部省(という役所)の少輔(事務次官、みたいなもの)という仕事を与えられている、ということです。形式上は。

もちろん、あくまで形式上であって、実際に京都に行ってこの仕事をするわけではありません。といことで説明しますが、この場合の「治部少輔」は、単なる「身分証明書の発券記号」だと考えたほうが良いでしょう。

江戸期に入ると、石田三成の治部少輔や、武蔵守は憚られていたそうです。

まとめ:治部少輔とは読み方は?石田三成の後は?江戸時代は?

治部少輔(じぶのしょう)とは、律令制における治部省の次官二人中の下位者であり、定員は一人です。従五位下相当の官位です。江戸時代以降は、豊臣秀吉の臣、石田三成を指すことが多いです。

治部省は、律令制における五省の一つで、礼制、律令、戸籍、学芸、地誌、水利、度量衡などを管轄していました。治部少輔は、治部省の長官である治部卿(じぶのかみ)を補佐し、省内の政務を取り仕切っていました。

石田三成は、豊臣秀吉に仕えてから、治部少輔をはじめとする多くの官位を歴任しました。また、朝廷の政務にも参画し、秀吉の天下統一に尽力しました。しかし、秀吉の死後、徳川家康と対立し、関ヶ原の戦いで敗死しました。

豊臣秀吉が公家の最高位である関白として天下統一を果たすと、豊臣氏宗家を摂関家、豊臣氏庶流および徳川・前田・上杉・毛利・宇喜多の諸氏を清華家格とする家格改革を行うなど、諸国の大名に官位を授けて律令官位体系に取り込むことで統制を行おうとした。

豊臣関白政権下の豊臣家譜代の官位は左衛門府(天皇家が右衛門府)の役職とほとんど一致している。

小早川従三位左衛門督(金吾)秀秋・・・(衛門府)君主を警衛する君主直属の軍人または軍団をいう。近衛府・御親兵・親衛隊・近衛師団・禁衛府・衛兵など、時代や国によってさまざまな名称がある。
宇喜多左近衛権中将秀家・・・(近衛府中将)左近衛府と右近衛府の二つが存在する。唐名は羽林。長は近衛大将(左近衛大将・右近衛大将)
福島左近衛権少将正則・・・(近衛府中将)
真田左衛門佐信繁・・・(衛門府次官(佐官))

増田右衛門少尉長盛・・・(右衛門府少尉)

石田治部少輔三成・・・治部省(外事・戸籍(姓名関係)・儀礼全般を管轄し姓氏に関する訴訟や、結婚、戸籍関係の管理および訴訟、僧尼、仏事に対する監督、雅楽の監督、山陵の監督、および外国からの使節の接待などを職掌)
大谷刑部少輔吉継・・・刑部省(司法全般を管轄し重大事件の裁判・監獄の管理・刑罰を執行する)
加藤主計頭清正・・・主計頭(主計寮は税収(特に調)を把握・監査することが職掌)
黒田官兵衛孝高・・・(勘解由次官)地方行政を監査するために設置された。
片桐東市正且元・・・(市司)都の東西の市それぞれに設置され、東市司は左京職に西市司は右京職に属していた。
浅野弾正少弼長政・・・(弾正台)監察・警察機構。
前田民部卿法印玄以・・・(民部卿)民政をつかさどる民部省の長官。
長束大蔵大輔正家・・・(大蔵省)財務省と金融庁
脇坂中務少輔安治・・・(中務省)詔勅の宣下や叙位など、朝廷に関する職務の全般を担っていた
加藤左馬助嘉明・・・(馬寮)諸国の牧から貢上された馬の飼育・調教。左馬寮と右馬寮に分かれていた。
糟屋内膳正武則・・・饗宴における食事の調理と配膳を担当する大膳職と分かれて、天皇の日常における食事の調理と配膳および食料の調達を担当する官司として設立された。このように「外」と「内」が対になっている機関は他に典薬寮と内薬司などもある。

江戸時代の大名にもさまざまな官位(武家官位)が与えられましたが、三成と同じ官職名は嫌われたようで、誰もいなかったはずです。

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