ジョーン・シェパードは千昌夫の元妻で知られるアメリカ人の女性歌手・タレント
1971年、レコード「サマー・クリエーション Summer Creation」の大ヒットを機に日本で知名度を上げましたがジョーン・シェパードさんの気になる現在までのプロフィールをまとめています。
ジョーン・シェパードwiki|千昌夫の元妻
ジョーン・シェパードは1972年に歌手の千昌夫と結婚、夫婦でいくつかの有名企業のテレビCMに出演した。パナカラー クイントリックスCMのセリフ『イワテケーン(岩手県)』は流行語になった。 千昌夫のヒット曲で日本文化の大切さを歌った「味噌汁の詩」(1980年)の台詞部分の中に「金髪?きん・・・金髪だけはいいんじゃないべかねえ」とあるのは、白人妻ジョーン・シェパードを前提としたギャグである。
千昌夫の女性関係のため1988年に離婚。離婚後は慰謝料として千から分与された東京広尾の家屋に暮らしたが、後にこの家は、名義の問題から立ち退くことになる。
離婚やこの家屋のことは、当時テレビや週刊誌で何度も報道された。
ジョーン・シェパードwiki現在
ジョーン・シェパードは2000年3月13日に母国のアメリカに帰国する際には取材に来たレポーターから「千さんがもっと頑張ってくれれば広尾の家を立ち退く事はありませんでしたよね?」と問いかけられた所、シェパードはそれを遮るように「それはわからない。これも人生だから。千さんは何も悪くない。日本にいた36年間はとても幸せだった。悪い事は何も無かった。(千さんには)頑張って欲しい。彼の(金銭)問題きっと無くなる。」と元夫を気遣うコメントを残した。
家屋を立ち退いた後は日本を離れて、ハワイに移住した。
ジョーン・シェパードwikiプロフィール
名前:ジョーン・シェパード(Joan Shepherd)
出身地:アメリカ
生年月日:1944年9月5日
年齢:78歳
ジョーン・シェパードの子供は?
結論から言うと、16年間より沿ったジョーン・シェパードと千昌夫さんとの間には子供は生まれていないようです。
ちなみに、千昌夫さんはジョーンシェパードと離婚してから4年後の1992年、45歳の時に18歳年下の外国人女性・アマンダと再婚しています。
千昌夫とアマンダの間には2男2女の4人の子供が生まれていて、次女のダニエラは2009年9月に芸能界デビューをしています。
女優の米倉涼子、上戸彩らが所属する大手芸能事務所・オスカープロモーションに所属しモデル活動をしています。
■千昌夫プロフィール
本名:阿部健太郎(あべ けんたろう)
生年月日:1947年4月8日
年齢:76歳
出身地:岩手県陸前高田市
職業:演歌歌手、実業家
農家の次男に生まれ、1965年に作曲家の遠藤実に入門。同年9月5日、「君が好き」でデビュー
1966年3月24日に発売された「星影のワルツ」がミリオンセラーの大ヒットとなり1968年には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしています。
ジョーン・シェパードの経歴
1960年代にグレン・ミラー・オーケストラの専属歌手をするなど、アメリカのショー・ビジネスの世界で活動していたが、1971年にレコード発売された「サマー・クリエーション Summer Creation」(夏の日の出逢い)が大ヒット、日本で有名になった。 「サマー・クリエーション」は化粧品マックスファクターのテレビCMソングでもあった。「サマー・クリエーション」の歌詞は英語だが、次のヒット曲「白い想い出」では日本語の歌詞を歌っている。
人気テレビ番組『新婚さんいらっしゃい!』のアシスタント司会を1978年から1981年までつとめていた。アシスタント司会者としては江美早苗・梓みちよに次ぐ第3代。第4代は片平なぎさである。なお「新婚-」の「ペアマッチ」でシェパードは毎回、ルール説明を英語で行っていたほか、開けたパネルの番号も英語でコールしていた。