レーガン大統領襲撃犯(ジョン・ヒンクリー)の動機・現在は釈放?

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ジョン・ヒンクリー(ジョン・ウォーノック・ヒンクリー・ジュニア、John Warnock Hinckley, Jr.)は、1981年3月30日に当時の大統領だったロナルド・レーガンを銃撃した犯人。

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レーガン大統領襲撃犯(ジョン・ヒンクリー)の動機は?

ロナルド・レーガンがアメリカ合衆国第40代大統領に就任してからわずか2ヶ月後の1981年3月30日。

ロナルド・レーガン大統領が、ワシントン市内のホテルでスピーチを終えて専用車に乗り込もうとしたところを、拳銃で撃たれた。

狙撃犯の放った銃弾が心臓をかすめるという瀕死の重傷を負うも直ちに市内のジョージ・ワシントン大学病院に搬送され緊急手術。

心臓のすぐ近くの肺にとどまっていた弾丸を摘出、生命を取り留めると大統領は当時70歳ながら驚異的な回復力を見せ、わずか10日後には退院します。

大統領に同行していたホワイトハウス報道官のジェームズ・ブレイディ氏のほか、シークレット・サービス(大統領警護隊)の護衛官、ワシントン市警の警察官も撃たれ、いずれも重傷を負った。

レーガン大統領襲撃犯の名前はジョン・ヒンクリー。

アメリカ合衆国 オクラホマ州アードモア出身の男性で事件当時は25歳でした。

ジョン・ヒンクリーは裕福な一家で3人兄弟の末っ子として誕生。

小・中学校では成績優秀なスポーツマンで人気者でしたが高校に進学する頃になると状況は一転。

兄が優秀でエリートの道を進みつつあったのに対し家に引きこもり・ギターをかきならす日々を送るようになるとテキサス工科大学に進学後もで休学と復学を繰り返して結局は中退。

この頃から精神安定剤・抗うつ薬を飲み始めるようになります。

ジョン・ヒンクリーがレーガン大統領襲撃をする直接的なきっかけは、女優ジョディ・フォスターさんに対するストーカー行為から。

映画『タクシードライバー』で娼婦役を演じた女優ジョディ・フォスターさんに一目惚れすると、フォスターが通うイェール大学に聴講生として潜入するとフォスターをつけまわし、フォスターのアパートも発見。

彼女の自宅のドアの下に自作の詩を書いたメッセージを挟み込んだり、繰り返し電話をかけるなど、ストーキング行為を繰り返すと、最終的に大統領を殺せばフォスターの気を引けるという妄想を抱くようになったそうです。

Actress Jodi Foster talks about letters sent to her by John Hinckley Jr. in 1981

■レーガン大統領襲撃の犠牲者
1人が死亡、3人が負傷

○ジェームズ・ブレイディ(ホワイトハウス報道官; 頭を撃たれ、部分的に麻痺; 2014 年 8 月 4 日に負傷の合併症により死亡)

○トーマス・デラハンティ(首の後ろを撃たれた)

○ティモシー・マッカーシー(シークレット サービス エージェント、腹部を撃たれた)

○ロナルド・レーガン(アメリカ合衆国第 40 代大統領、左腕を撃たれ、弾丸が肺に留まった)

レーガン大統領襲撃犯(ジョン・ヒンクリー)の現在|なぜ釈放?

ジョン・ヒンクリーはレーガン大統領襲撃事件の1時間前にはジョディにラブレターを書き、その中には「ジョディ、お願いだから自分の心をよく見つめて、こんな歴史的偉業を果たす僕に、君の尊敬と愛を勝ち取るチャンスをくれ」としたためていました。

ちなみに、1980年にジョン・レノンが射殺されると、ビートルズの大ファンだったヒンクリーはすぐにニューヨークに飛び、セントラル・パークの追悼集会に参加しています。

1982年の裁判でヒンクリーは13の罪で起訴されますが、結局「ヒンクリーは精神の病気にかかっており、責任能力が無い」との判断で無罪評決を受けるとワシントンの精神科病院に入院。

ワシントンD.C.の聖エリザベス病院での強制隔離入院、両親の監督下での仮退院を経て2000年には監督なしでの仮退院を許されると、2016年7月釈放が許可されます。

行動制限を課されてはいるものの、当局の監視、医師による定期的な治療、投薬、旅行、インターネット使用の制限などが解かれ、南部バージニア州で自由な市民生活を送っているそうです。

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