鍛冶舎巧さんは秀岳館(熊本)監督として甲子園4季連続出場を果たした高校野球の名将。
2022年には県岐阜商業高校野球部の監督として甲子園出場を果たしている鍛冶舎巧さんの気になるプロフィールをまとめています。
鍛冶舎巧wikiプロフィール
名前:鍛冶舎巧(かじしゃ たくみ)
生年月日:1951年5月2日
年齢:71歳
出身地:岐阜県
出身高校:県岐阜商
出身大学:早稲田大学
学生時代にはベストナイン(外野手)2回受賞などの実績を残して社会人野球の松下電器に入社すると主軸として活躍を続けます。
1975年秋のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名を受けるも入団を拒否。
社会人野球を続け1979年の社会人野球日本選手権では一塁手、四番打者として活躍して1981年に現役引退。
鍛冶舎巧の経歴
現役引退後は松下電器の野球部で同部長、監督を歴任し、1985年から2010年まではNHK高校野球解説委員を務め、高校野球ファンの間では知られた存在となっていました。
その間、松下電器が「パナソニック」の名前に代わりスポーツ担当の役員に昇進。
少年野球の強豪・オール枚方ボーイズの監督も務めジャイアンツカップ3度優勝などに導き、2014年4月には熊本県の秀岳館高の監督に就任しています。
秀岳館高は当時はまだ実績がほとんどない無名の高校でしたが、少年野球で実績を上げていたことから、
教え子を中心に同校へ全国から優秀な選手が集結するようになり、同校を全国的な強豪校へと押し上げています。
秀岳館高時代には3年目の2016年春の選抜大会から3季連続で甲子園ベスト4進出といった実績を残し、
2018年3月から母校の県岐阜商の監督に就任しています。
秀岳館高の監督退任時には公式、非公式で20校以上の学校からオファーがあり中には3000万円以上の条件もあったそうですが、「お金で動いていると思われるのが一番、嫌」と、監督をするなら母校の早稲田の系列校か、県岐阜商と決めていたそうです。
元ビジネスマンらしく、練習にPDCAサイクルを導入し、選手の技能と意識向上を心掛けています。
日本の高校野球では投手への負担が以前から問題視されていましたが、鍛冶舎巧はずっと以前から
「一大会で一人の投手が600球も投げるのは、その投手の将来を思ったら避けたほうがいい」といった持論を持ち、複数の投手を育て、継投策を採っています。
打撃に関してはノーステップ打法が知られています。
アマチュア野球の日本代表にコーチとして帯同した当時、世界最強といわれたキューバに対抗すべく用いた策で、
ファーストストライクからフルスイングで長打を狙いに行き、追い込まれたら一転、打率を高めるノーステップ打法に切り替えています。
鍛冶舎巧の高校や大学など学歴は?
鍛冶舎巧さんの通っていた学校は次のとおりです。
出身高校:県岐阜商
出身大学:早稲田大学
県岐阜商高は1904年創立で野球部の創部は1925年。
春3度、夏1度の全国制覇など、春夏それぞれ28度の甲子園出場。通算56度出場は史上3位、甲子園通算87勝は公立トップ(私立を含めると4位)
鍛冶舎巧さんは高校3年時にエースで4番として1969年の第41回、夏の選抜に出場。
大会通算100号本塁打を放つなどベスト8進出に貢献し、早稲田大学でも季ぶりとなる1973年春季リーグ戦の優勝に貢献。
鍛冶舎巧の身長・体重は?
鍛冶舎巧さんの体重については具体的な数字は公表されていないものの身長は様々なメディアに登場する様子から170㎝台とみられます。
鍛冶舎巧の結婚した嫁や子供は?
調査中
鍛冶舎巧さんのプライベートについて調べられる範囲では結婚に関する情報も一切ありませんでした。