「神はサイコロを振らない」とはアインシュタインによる名言とされています。
「神はサイコロを振らない」というバンドもありますが、意味は?
神はサイコロを振らない(名言)意味は?元ネタはアインシュタイン?
「神はサイコロを振らない」とは観測される現象が偶然に選ばれるという量子力学のあいまいさに納得できなかったアインシュタインが量子力学を批判した名言とされています。
粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができない、という、ハイゼンベルクによる不確定性原理による結果に対し、それは“元々決まっていないからだ”と考えるのが、ボーアなどが提唱したコペンハーゲン解釈である。これに対しアルベルト・アインシュタインは反対し、“決まってはいるが人間にはわからないだけ”という「隠れた変数理論」を唱えています。
ただアインシュタインは一方的に量子力学を批判していたわけではありません。
「量子力学では、観測された現象は避けがたき偶然性を持つと考えられているが、サイコロを振るように、偶然性で結果あるとするのではなく、その原因と過程を科学的に実証すべきだし、必ずできるはずだ」
としていて、量子力学的な事象が発生していることは認めていて、その背景には古典力学で説明できる理論があるのでは?という考え方をしていました。
ミクロな世界において粒子の存在は確率的にしかわからないという考え方(コペンハーゲン解釈)は、サイコロの出る目が確率的にしか分からないのと変わらないじゃないか、物理学的に何も根本的な解決にはなっていないじゃないかと否定的だったのがアインシュタインです。
“ホーキングの再来”と評される天才物理学者が”真実”を明かす
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科学界最大の発見であり、最大の謎とされる量子論。
はたして量子論の核心とは何か、
それはどんな新しい世界像をもたらしたのかを、
研ぎ澄まされた言葉で明快に綴る。
量子は私たちの直感に反した奇妙な振る舞いをする。
著者によれば、この量子現象を理解するためには、
世界が実体ではなく、関係にもとづいて構成されていると
考えなくてはならないという。
さらにこの考え方を踏まえれば、現実や意識の本質は何か、
といった哲学的な問いにも手がかりが得られるのだ――。
今ここで、大砲の弾を敵陣に向けて撃ちこむとします。このとき、弾の初速度、発射角度、空気抵抗値等等、関連するあらゆる物理量がもしわかっているなら、「理論上」は弾の着弾点は100%の精度で予測できるはずです。これは、条件が全く同じなら何回繰り返しても弾の着弾点は変わりません。
このような”常識的”な世界が「古典物理学」の世界です。
ところが、20世紀に入り、奇妙な現象が確認されるようになりました。
ある種の実験では、「全く同じ条件」で実験を行ったにも関らず、実験結果が同じにならないのです。「古典物理学」的な常識的考え方では、上の大砲の弾の例のように全く同じ条件で実験を行ったなら全く同じ結果になるはずです。(lavie_xxx999さんのサイコロの例がありますが、失礼ながらlavie_xxx999さんの考え方がまさに「古典物理学」の考え方なのです。たとえサイコロでも、「全く同じ投げ方」で投げれば当然同じ目が出るはずです。)
これは科学の世界でそれまで確認されたことのない現象だったために、大論争を巻き起こしました。
科学者達はこの不思議な実験を何度も繰り返し測定するうち、奇妙な法則性を発見しました。それは、この実験の結果は100%の確率で予測はできない代わりに、
「X%の確率で結果”A”になる」「Y%の確率で結果”B”になる」「・・・・・・
というように、”確率的”にのみ、どのような結果になるかが予測できるというものです。
このような法則性をボーア率いる「確率論」派は、
「実験を始めたときには実験結果がまだ”決まっておらず”、結果を”測定”した瞬間に結果AになるかBになるかなどが”確率的”に決まる」と解釈しました。
これはいわば「大砲を撃った瞬間には着弾点は”決まっておらず”、弾が”着弾”した瞬間にどの地点に着弾したかが決まる」とでもいうような考え方であり、世間一般の常識からはかけ離れた考え方です。
このような考え方はさすがのアインシュタインでも受け入れ難かったらしく、対抗して「隠れた変数理論」を提唱しました。これはカンタンにいうと
「先の実験で、『全く同じ条件』で実験をしたと主張しているが実はそれが間違いではないか。現在の人間の技術では測ることができない何かの物理量(=隠れた変数)が存在し、それが異なっていたために実験結果が異なったのだ」というものです。
大砲の例にすると、大砲の弾は鉄でできているなら例えば周囲の磁場の状況によって軌道が変わり、全く同じ条件で発射しても着弾点が変わってしまいます。しかし人間がもし”磁場”というものを知らなかったなら、「なぜ”全く同じ条件”で発射したのに結果が違うんだろう?」と疑問に感じるはずです。この例えでは「磁場」が「隠れた変数」となっているのです。
アインシュタインの考え方はより”常識的”です。そこでアインシュタインは「測定した瞬間に”確率的”に結果が決まる」とするボーアらの考えに対し、「神はサイコロをふらない」といって批判したのです。
現代物理学ではボーアらの考え方に軍配をあげつつありますが、厳密には現在に至っても未だ論争に決着がついていません。