川崎絢平さんは明豊高校野球部の監督。
2022年には2年連続で明豊高校野球部を甲子園出場へと導いた川崎絢平さんの気になるプロフィールをまとめています。
川崎絢平wikiプロフィール
名前:川崎絢平
生年月日:1982年2月12日
年齢:40歳(20212現在)
出身地:和歌山県海南市
出身高校:智辯和歌山高校
出身大学:立命館大学
職業:明豊高等学校勤務
川崎絢平の経歴
甲子園の名将・智辯和歌山の高嶋仁監督の教え子。
川崎絢平さんは智辯和歌山時代、1年生から内野手・ショートとしてレギュラーにになると3年連続で夏の甲子園に出場を経験。
1年生だった1997年には優勝、3年生の時にはベスト4進出を果たしています。
立命館大学を経て大学卒業後は社会人野球のクラブチームである和歌山箕島球友会「マツゲン」に所属し、2006年には全日本クラブ野球選手権大会優勝。
本業がスーパーの「マツゲン」では店舗では野菜担当。市場に行って買いつけたり、マイクを握ってお買い得品をアピールしていたそうです。
現役引退後は実家が経営するコンビニエンスストアで勤務していたが、2008年に高校時代の恩師である髙嶋仁監督に誘われ、母校の智辯学園和歌山高等学校野球部のコーチに就任しています。
そこで3年間、のちにプロへ進む岡田俊哉(現中日)、西川遥輝(現日本ハム)らを育てると、さらに3年後、家庭の事情もあり大分に転居。
地元シニアのコーチをしていると、2011年、明豊で指導をしないかとの打診があり、部長を経て2012年秋、監督に就任しています。
2015年の夏の第97回全国高等学校野球選手権大会に監督として初の出場を果たす
2017年の夏の第99回全国高等学校野球選手権大会では準々決勝に進出
2019年の春には選抜高等学校野球大会に初出場を果たし準決勝に進出した。
同年秋に開催された明治神宮野球大会に初出場する[6]。同年秋の秋季九州大会で優勝し、2020年の春の第92回選抜高等学校野球大会の出場権を得ていたが、コロナ禍のなか中止となる。その救済措置として行われた同年夏の2020年甲子園高校野球交流試合に出場し、岐阜県立岐阜商業高等学校に4対2で勝利した
2021年の春の第93回選抜高等学校野球大会では大分県勢としては1967年の大分県立津久見高等学校以来、54年ぶりに決勝に進出を果たした。
決勝戦の対東海大相模高等学校戦では、9回裏にサヨナラ負けを喫し惜しくも準優勝となる[10]。当大会での明豊高等学校の5試合で無失策は大会史上初の記録となった。
■川崎絢平の主要大会での成績
選抜高等学校野球大会:出場3回[注釈 1]、通算成績 7勝2敗、最高成績・準優勝(2021年)
全国高等学校野球選手権大会:出場2回、通算成績、2勝2敗、最高成績・準々決勝進出(2017年)
明治神宮野球大会:出場1回、通算成績、0勝1敗、最高成績・準々決勝進出(2019年)
■指導した主な選手
○智辯学園和歌山高等学校
岡田俊哉 (中日ドラゴンズ) ※コーチとして
西川遥輝 (北海道日本ハムファイターズ) ※コーチとして
○明豊高等学校
濱田太貴 (東京ヤクルトスワローズ)
居谷匠真 (ソフトバンクホークス)
川崎絢平のインスタ・ツイッター
川崎絢平のツイッター
川崎絢平のインスタグラム
川崎絢平のフェイスブック
川崎絢平の高校や中学は?
川崎絢平さんの通っていた中学にについては学校名は明らかになっていないものの、生石ボーイズでプレーしています。
高校・大学は次のとおりです。
出身高校:智辯和歌山高校
出身大学:立命館大学
生石ボーイズのチームメートが入学を希望する智辯和歌山の練習に参加するというので、その付き添いで参加したところ、つ高嶋仁監督(当時)に見出され智辯和歌山高校に進学しています。
川崎絢平の結婚した嫁や子供は?
川崎絢平監督は智辯和歌山高校コーチをしていたとき妻の出身地・大分県に移住。
紹介されたシニアの球団会長の縁で明豊高校監督に就任しています。
当時の理事長には「明日からでも来なさい」と言われ、2日後にはコーチとして明豊のグラウンドに立っていたそうです。