介良事件wiki真相|現場・当事者は?高知でUFL(未確認飛行物体)捕獲は灰皿?

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”’介良事件”’(けらじけん)とは、1972年(昭和47年)8月、高知県高知市東部の介良地区で、当時の中学生数人が両手に乗るサイズの小型UFOを捕獲したとされる事件。

介良事件は、その後も現場・当事者含め多くの雑誌やテレビ番組「世界の何だコレ!?ミステリー」「世界が騒然!本当にあった?衝撃ファイル」などで取り上げられていますが真相は?

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介良事件wiki

”’介良事件”’(けらじけん)とは、1972年(昭和47年)8月、高知県高知市東部の介良地区で、当時の中学生数人が両手に乗るサイズの小型UFOを捕獲したとされる事件である。

”’介良小型UFO捕獲事件”’(けらこがたユーフォーほかくじけん)とも呼ばれる。 マスメディアに大きく取り上げられ、天文家の関勉氏や作家の遠藤周作氏が現地へ取材に訪れるなど日本中で話題となった。

事件は1972年8月25日に始まり、高知県高知市東部の介良地区で、中学生の男子数名が田んぼの中で、地上1メートルくらいの位置に浮かんでいた発光体を目撃したことから始まる。

少年たちは約1ヶ月間、複数回に渡り、飛行する物体を目撃した後に着陸した小型UFOを捕獲し、その都度、再びその場から消失するのを目撃した。

捕獲された物体は銀色で、高さ約7cm、幅約18cm、重さ1.3?1.5kgだったとされ、スケッチでは山高帽に似た形状をしている。

物体を見た人の中には、銀色に塗られた煙草盆(灰皿)のようだったと証言する人もおり、後年になって証言と酷似した鋳物の灰皿の存在が確認されている。

当時、ラジオ番組に出演していた関勉氏は、事件を最初に報じた後、後に中心人物の少年の担任教師から、事件は作り話だったと聞いたと証言している。

介良事件wiki|現場・当事者の目撃情報

物体は手のひらに乗るほどの小型UFOとされ、少年たちは何度も目撃、捕獲したと証言している。 少年たちは、約1ヶ月間に渡り、田んぼの上を飛んだり、着陸したりする小型UFOを目撃し、捕獲と消失を繰り返したとされています。 しかし、写真撮影を試みてもシャッターが下りなかったり、フィルムが真っ黒になったりするため、鮮明な写真が残っていません。

目撃情報には、物体から光が放たれている、回転している、音がするなどの記述がある。 UFOは、青い光を明滅させたり、回転しながら底と縁から光を放っていたとされています。 また、水をかけると虫のような音を立てたり、動かすとガラガラと音がしたという証言もあります。

少年たちだけでなく、一部の大人もその物体を目撃したと証言している。 ある少年の父親は、その物体を「直径20cmくらいの鋳物製のタバコ盆のような感じで、外を銀色に塗ってあり、穴の中が光っていると言われたが、見た時は光っていなかった」と証言しています。

物体は、最終的に消失し、その後発見されていない。 少年の一人が紐でくくりつけて運ぼうとしたところ、ハンドボール大の発光体が現れ、何らかの力で引っ張られ、物体が消失したとされています。

しかし、これらの目撃情報は、証言に基づくものであり、物的証拠は残っていません。 また、当時から少年たちのいたずらではないかという説も存在します。 実際に、目撃されたUFOと非常によく似た形状の灰皿の存在が確認されています。

介良事件wiki|真相は?

介良事件については、

目撃証言の信憑性: 飛行している物体を目撃したのは一部の少年だけであり、他の目撃者は捕獲された後の静止状態の物体しか見ていないという事実があります。 さらに、捕獲された物体を見た大人からは「銀色に塗られた煙草盆(灰皿)のようだった」という証言があり、後年になってその証言と酷似した灰皿の存在が確認されています。

物的証拠の欠如: 事件の証拠となる写真は、捕獲前に撮影された不鮮明なものだけであり、捕獲された物体そのものも現存していません。

関係者の証言: 事件を最初に報じた関勉氏によると、中心人物の少年が後年になって「実は作り事だった」と高校教師に告白したという証言があります。

これらのことから、介良事件は少年たちによる悪戯、または誤認の可能性が高いと考える説が根強いのです。

特に、少年の一人が手品を得意としていたという点や、当時世間がオカルトブームに沸いていたという時代背景も、この事件に対する懐疑的な見方を強める一因となっています。

介良事件wiki|灰皿との違いは?

介良事件の当事者である野村氏は、少年たちが目撃した物体と灰皿の違いとして、裏側にアンテナのような形状の機械が出ていたことと、UFOの方がずっと軽かったことを挙げています。

野村氏は、少年たちが目撃した物体が灰皿ではなく、何か不思議な物体であったことを確信しています。

当時から、介良事件で目撃された物体は灰皿を使った少年たちのイタズラ説が唱えられていました。

実際に、少年たちが残したスケッチに描かれた物体と非常によく似た灰皿も発見されています。

しかし、野村氏は灰皿との違いを2点指摘しており、特にUFOの方が軽かったという証言は重要です。

もし灰皿を使ってイタズラをしたのであれば、改造によって元の灰皿よりも重くなるはずだからです。

また、野村氏は灰皿と見せられた際に、灰皿との共通点ばかりを挙げており、自ら進んで違いを指摘しようとしなかったことも、イタズラ説には不自然な点として挙げられます。

介良事件wiki|小型UFOのその後

介良事件で目撃された小型UFOは、その後も目撃されています。

介良事件から50年後の2022年に、事件の当事者の一人である野村尊應氏へのインタビューを実施しています。

野村氏は、介良事件で目撃されたような小型UFOではなく、空飛ぶ巨大な発光体が、小型UFOが目撃された田んぼからもよく見える小富士山の上空で、現在も時々目撃されていると語っています。

野村氏の証言として、介良でUFOが頻繁に現れる場所があり、そこは数時間前にインタビューに来た人物たちが訪れていた場所だと語っています。そして、その場所は、田園風景の中に突然現れた巨大な岩の辺りだと明かしています。

これらのことから、介良事件で目撃された小型UFOは、その後も目撃されているという情報があります。ただし、目撃情報は、野村氏の証言に基づいており、裏付けが取れているわけではありません。

介良事件wiki|甲府事件とは?

介良事件によく似た事件として甲府事件が挙げられます。

甲府事件は、1975年に山梨県甲府市で小学生がUFOと宇宙人らしき搭乗者を目撃したとされる事件です。

両事件は、共に日本で起こったUFO目撃事件として有名であり、特に「日本を代表する2大UFO事件」と呼ばれています。

しかし、介良事件では小型UFOの捕獲を試みたとされているのに対し、甲府事件では宇宙人らしき搭乗者の目撃が報告されている点が異なります。

また、高知県立文学館で行われた「ムー展」で、介良事件と甲府事件の資料が展示されていたことが紹介されています。

同展では、介良事件については当事者によるUFOの模型が、甲府事件についてはUFOをとらえたとされる写真が展示されていました。

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