菊野昌宏さんは日本人で2人しかいない(世界でも30人ほどしかいない!)独立時計師で、菊野昌宏さんが手作りする時計はその価格なんと数百万円単位!
不定時法の和時計で特に高い評価を得ている菊野昌宏さんの気になるプロフィールをまとめています。
菊野昌宏のトゥールビヨンがスゴい!
菊野昌宏さんの手掛けるトゥールビヨンの値段は1本なんと1000万円という驚くような金額となっています。
トゥールビヨンとは時計製造の技術の中で最も難易度の高い、世界三大複雑機構のうちの一つで1800年頃に、天才時計技師アブラアム・ルイ・ブレゲ氏によって発明されました。
重力や時計の置かれている環境によって生じる誤差(狂い)を内部の一部の構造全体を回転させることでキャンセルさせる仕組みになっているそうです
菊野昌宏さんはトゥールビヨンキャリッジの作り方をホームページで紹介しています。
菊野昌宏さんは2010年、日本人時計師としては史上初めて、永久カレンダー・トゥールビヨンの複雑なシステムを搭載した時計を発表。
さらに時計の高精度化に貢献するトゥールビヨン機構を同時に組み込んだコンプリケーション・ウォッチとなっています。
■永久カレンダー・トゥールビヨン(非売品)
通常の時刻だけでなく、日・曜日・月から閏年に至る正確な暦を表示する永久カレンダー機構を搭載。
ブリッジ、板バネ、歯車などはもちろん、透明板を使用した回転式のインダイアルやブルースチール仕上げの針、さらにはケースに至るまで、すべて菊野自身の手作業によって生み出されています。
サイズ:直径44.0×厚さ17.3㎜
ムーブメント:手巻き ETA製Cal.6497ベース、オリジナル・デザインのブリッジ組み込み、永久カレンダー、トゥールビヨン
ダイアル:シースルー仕様、透明板インダイアルによるカレンダー表示
針:手作業によるブルースチール仕上げ
他仕様:シースルーバック
菊野昌宏wikiプロフィール
名前:菊野昌宏(キクノ マサヒロ)
生年月日:1983年2月8日
年齢:37歳
出身地:北海道深川市
血液型:O型
最終学歴:北海道深川西高等学校
工房所在地:千葉県船橋市
2001年 高校卒業後、陸上自衛隊に入隊
2005年 自衛隊を除隊し、ヒコ・みづのジュエリーカレッジで時計作りを学ぶ
2011年 スイスの独立時計師アカデミーに準会員として、入会(日本人初)
2013年 正会員に昇格
菊野昌宏さんは幼少期の頃から積み木やLEGO(レゴ・ブロック)を好んで遊ぶようになり、2歳のころには祖父が購入した自動車の図面を擦り切れるほどに読み込んでいたそうです。
物作りが好き名だけではなく自分で設計図を書き、材料を集めて、モノを作るという過程も楽しんでいて、
高校生の時には物作りの道に進もうと考えたこともあったようですが、「勉強が好きではなかったから」ことから結局、勧誘されるがまま自衛隊に入隊を決めています。
1つのモノをすべて自分の手で作り上げるような仕事をしたかったそうですが、現代の効率を求めて細分化された仕事にはあまり魅力を感じなかったとも話しています。
菊野昌宏の経歴
菊野昌宏さんは自衛隊に入隊をすると主に銃の整備の仕事をされていたそうです。
そんなある日、菊野昌宏さんは上司が腕に巻いていた時計に目が留まります。
数十万円もするオメガの時計を見て初めて機械式時計というものを知り、興味を持つと、立ち寄った本屋さんで機械式時計の雑誌を偶然見つけます。
さっそく手に取ると時計の内部構造に魅了され、さらに時計について調べてみたところ、独立時計師という職業があるということを知ります。
部品を作り、組み立てまで1人で行うその働き方に強い憧れを持った菊野昌宏さんは「これだ!」と自衛隊を辞め、時計職人になるための勉強を始めます。
時計作りの勉強をするため、専門学校「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」に入ると、時計の修理の仕方を学び、
卒業後も専門学校の講師をしながら、学校の施設を借りて、時計作りに励み、試行錯誤の末に菊野昌宏さんの代表作となる不定時法の和時計を完成させています。
2011年に菊野昌宏さんが開発・製作に成功した「不定時法腕時計(和時計)」は、季節ごとのずれさえも自動で調整する時計。
12の干支が書かれた駒(インデックス)が季節の変化に伴って自動的に移動する「自動割駒式和時計(じどうわりごましきわどけい)
で、その価格はなんと500万円とか1800万円といった途方もない金額になっています。
不定時法とは、江戸時代に使われていた日本特有の時刻制度のこと。
夜明けと日暮れ(昼)、および日暮れと夜明け(夜)までの間を6等分し、それを一刻(いっとき)とする時刻の表示に用いていました。
時刻の呼び方には、十二支と数があてられ、現代でも「丑三つ時」「おやつ(八つ)」などの言葉として名残を残していますね。
日の出と日の入りの時刻は季節によって大きく変化するため、一刻の長さは日々、変化しているため、本来であれば時計の表示も微調整を加えなければいけません。
江戸時代の初期はお寺の鐘の音で、今何時かを確認するしかなかったものの、後期には季節ごとに干支の間隔が異なる文字盤に交換したり、移動式の駒を手動調整する機構などを搭載した和時計がすでに開発されています。
菊野昌宏さんが製作した「不定時法腕時計(和時計)」は、この和時計に季節ごとのずれを自動修正する機構を腕時計サイズにまで凝縮させています。
菊野昌宏さんが名前が世間に知られるようになったのはちょうど不定時法の和時計を完成させようと奮闘していたころ。
スイスで有名な独立時計師フィリップ・デュフォー氏のアトリエにも招待されたチャンスを活かして、
自分が作った時計や製作過程の写真を見せたところ、デュフォー氏からスイスで開かれる世界最大の装飾品見本市に出展を打診されます。
菊野昌宏さんは、売れる時計を作れるという自信がなくあまり乗り気ではなったそうですが、
「こんなチャンスは2度とない」と出展を決意すると、なんと、この時計が世界的に高く評価され、見本市に出展した年の2011年に独立時計師アカデミー(AHCI)の準会員となります。
AHCIとは、世界中の特に優れた独立時計師で構成された国際組織で会員の人数はなんと30人ほど。
菊野昌宏さんは準会員になってからも、厳しい審査がを受けて日本人初の正会員となりました。
現在の日本人の会員は浅岡肇さんという方と、2019年に新たに牧原大造さんも独立時計師となりもいて3人となっています。
菊野昌宏の独立時計師とは?
独立時計師とは、どこのメーカーにも属さず部品をほぼすべて手作りし、1年もの歳月をかけて1人で時計を作り上げる職業。
部品のひとつひとつの組み立てから完成まで、すべて一人で行い、
菊野昌宏さんは独立時計師を生業としている人が入会している「AHCI(独立時計師協会)」に日本人ではじめて入会が認められました。
独立時計師アカデミー(Academie Horlogere Des Createurs Independants 、AHCI)とは1985年に結成され、数十人の独立時計師から構成された国際的な組織です。
菊野昌宏のツイッターやインスタグラム
菊野昌宏のツイッター
@KikunoMasahiro
菊野昌宏のインスタグラム
@masahiro_kikuno
菊野昌宏のフェイスブック
@masahiro.kikuno.3
菊野昌宏の高校や大学など学歴は?
菊野昌宏さんの通っていた高校は北海道深川西高等学校です。
その後、大学には進学せずに高校卒業後、いったんは自衛隊に入隊をしますが、時計作りを学ぶために「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」に通っています。
ちなみに、「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」で後輩にあたるのが同じく独立時計師となった牧原大造さんです。
菊野昌宏の結婚した嫁や子供は?
菊野昌宏さんの過去のインタビューの記事を見ると「完成した時計に納得がいかず、売らなかったこともあるので、妻には経済的に迷惑をかけた」と答えています。
すでに結婚されていて、プロポーズは指輪じゃなくて時計をプレゼントしたそうです。
菊野昌宏の年収は?
菊野さんの作る時計には1本1800万円の「和時計改」や500万円の「朔望」などがあります。
1本の時計が1000万円前後もしますが、菊野昌宏さんが1年で制作できる時計の本数は2~3本と決して大量生産できるわけではありません。
ざっくりと1年に3本の時計を作るとして、1本あたり1000万円の価格だとすると年商ベースでは3000万円ほど。
ここから時計作りに必要な部品代や光熱費もろもろが発生するわけですから、年収に換算するとおそらくは1000万円台に落ち着くのではないでしょうか。