江戸時代より漆器製造販売業を営む「輪島キリモト」の八代目
桐本滉平さんの気になるプロフィールをまとめています。
桐本滉平wiki|猫の支援でザ・ノンフィクション
桐本滉平さんは能登半島地震で自宅兼工房が全焼し、飼い猫が行方不明になったことをきっかけに、被災地で飼い主とはぐれた猫の保護活動を始めました。桐本さんは、SNSで呼びかけたり、捕獲器を設置したりするなどして、これまでに60匹以上の猫を保護し、40匹を飼い主と再会させています。桐本さん自身も、まだ行方不明の猫を探し続けており、一日も早く再会できることを願っています。
そんな桐本滉平さんの活動がフジテレビ「ザ・ノンフィクション」でも紹介されました。
■ザ・ノンフィクション放送内容
7月14日(日) 14:00~14:55
猫をさがすふたり~被災地の猫物語~
大地震で焼け野原となった「輪島朝市通り」で泣きながら飼い猫を捜す青年の姿が世界で報じられた…自身の飼い猫を捜すうちに被災地の猫捜しを担うことになった夫婦の物語
放送内容詳細
2024年1月1日、能登半島を襲った大地震が街の光景を一変させた。石川・輪島市の観光名所「朝市通り」では、大規模な火災も発生し、通りのほとんどを焼き尽くした。
朝市通りに暮らしていた輪島塗八代目の桐本滉平さん(31)と妻の萌寧さん(27)夫婦の自宅兼工房も火災で全焼。初詣に出かけていた2人は無事だったが、飼っていた3匹の猫が行方不明となった。
跡形もなくなった自宅があった場所で猫を捜す滉平さん…その姿を海外メディアが取材し、世界で報じられた。
しかし、なかなか見つからない愛猫たち。猫がやってきそうな場所に捕獲器を仕掛けるものの、見知らぬ猫が入っていることもしばしば…「自分たちのように誰かがこの猫を探しているかも知れない」…桐本さん夫婦は、自分の猫を捜すだけでなく、他の人の猫も保護し、飼い主の元に届けることを決めた。
早速猫を保護しては、張り紙やSNSで情報を発信するように。いつしか、同じように飼い猫を捜す人たちが集まり、被災地の猫を捜索する輪は大きくなっていった。そして、「活動を支援したい」と、世界中から大量の支援物資も届くようになる…
いつの間にか「猫捜索隊」の中心となった滉平さんには、依頼が殺到するようになった。
そんな中、滉平さん夫婦の飼い猫が見つかったという連絡が…
震災で家も仕事も失い、愛する飼い猫を捜し続ける夫婦を待ち受ける、思いもしない運命とは…
引用:https://www.fujitv.co.jp/thenonfx/
桐本滉平wikiプロフィール
名前:桐本滉平
出身地:石川県
生年月日:1992年
年齢:32歳(2024年満年齢)
出身高校:石川県立輪島高等学校
出身大学:日本大学商学部
桐本滉平wiki|結婚した嫁(妻)は?
桐本滉平さんが結婚されていて、奥様と二人で震災後の猫の捜索活動を行っていたことがわかっていますが、詳細な情報については分かっていません。
桐本滉平さんの嫁(妻)の年齢や職業など、詳細を確認でき次第、ブログに追記をします。
桐本滉平wiki|ブランド「IKI」の特徴
桐本さんが立ち上げたブランド「IKI」の特徴は、「人の肌に近い質感」をテーマに、漆を科学とデザインの視点から捉え直している点です。 桐本さんは、漆が乾燥する際に水を含んで吸収することから、人間の肌に近い質感を持つことにパリ留学中に気づきました。 このブランドは、桐本さんを筆頭に、クリエイターやアートディレクター、百貨店バイヤーなど、様々な分野のプロフェッショナルがチームを組んで開発されました。 「IKI」は、日常生活で使える漆器として、伊勢丹新宿本店でお披露目されました。
桐本滉平wiki|父親は?
桐本滉平さんの父親は、江戸時代から続く輪島塗の老舗「輪島キリモト」の7代目であり、名前は泰一さんと言います。
彼は、息子である滉平さんが幼少の頃から家業である「木と漆」の仕事に携わってきました。
泰一さんは、伝統的な輪島塗の技法を継承しながらも、現代の生活に寄り添う新しい形の輪島塗アイテムを生み出すことに力を注いできました。
具体的には、プロダクトデザインや内装設計の経験を活かし、輪島キリモト独自の技法を開発するなど、革新的な取り組みを行っています。
また、泰一さんは、輪島塗の素晴らしさを国内外に発信するため、積極的に展示会を開催したり、海外ブランドとのコラボレーションを実現したりしてきました。
息子である滉平さんとは、幼少期は家業を継がせることに関して複雑な思いを抱えていましたが、滉平さんが家業を継承することを決意してからは、二人で協力して輪島塗の新たな可能性を追求しています。 特に、新ブランド「IKI」の立ち上げにおいては、泰一さんはプロダクトチームのリーダーとして、滉平さんを支えながらプロジェクトに尽力しました。
桐本さんが保護猫活動を始めた後、父親との関係性はより協力的で相互に支え合うものになったと言えます。ソースによると、桐本さんは幼少期から家業の漆器業を継ぐことに抵抗があり、父親との関係性も良好なものではありませんでした。 食卓では、事業の方向性を巡って父親と祖父が言い争う姿を見ることも日常的であり、桐本さんにとって食事が楽しくない時間だったと語っています。 しかし、東日本大震災を経験し、桐本さんは家業の継承を決意し、マーケティングを学ぶために大学へ進学します。
その後、桐本さんはパリへ留学し、輪島塗の新たな価値を見出す経験を経て、新ブランド「IKI」を立ち上げます。 この「IKI」の立ち上げにおいて、桐本さんは父親と協働で商品開発に取り組んでおり、父親はプロダクトチームのリーダーとしてプロジェクトに参画しています。
さらに、桐本さんは「IKI」のプロダクトデザインや職人との調整を父親に一任しており、父親もプロジェクトに対して「これまでの人生で会うことのなかった人たちと仕事ができている。それが嬉しい」と喜びを語っています。
これらのことから、桐本さんが保護猫活動を始めた後も、家業を通して父親との関係性はより強固なものになっていると考えられます。
桐本滉平の経歴
桐本滉平さんは幼少期は昆虫博士になりたいと思っていましたが、 中学生の時に能登半島地震の復興チャリティー企画で、ルイ・ヴィトンの次期社長が父親とコラボレーションしているのを目の当たりにし、「家業が国境を越えることがあるんだ!」と衝撃を受けました。
これが、後の彼の人生を変えるターニングポイントとなりました。
高校3年生の時、東日本大震災を経験し、 「自分は何のために生きているのか?」と自問自答した結果、「日本の価値は日本の文化にあり、伝統こそが未来に残すべきものだ」という結論に至りました。
当初は理系でしたが、家業を継ぐことを決意し、マーケティングを学ぶため、文系の大学へ進学しました。 大学4年生の時には、文部科学省の留学支援制度を利用してパリへ留学し、 現地のセレクトショップで日本の伝統工芸品を販売していました。
パリでは、エルメスのデザイナーとの出会いをきっかけに、自身のブランド「IKI」を立ち上げました。 このブランドでは、輪島塗の伝統的な技術を生かしつつ、現代的なデザインを取り入れた作品を制作しています。 また、百貨店などでの販売にも力を入れており、多くの人に輪島塗の魅力を伝えています。
2024年には、能登半島地震で自宅兼工房が全焼し、飼い猫3匹が行方不明になるという被害に遭いました。 桐本さんは、自身と同じように被災した飼い主のために、保護猫活動を始めました。 この活動は世界中で注目され、桐本さんは保護猫活動の中心人物として活躍しています。
桐本滉平のツイッターやインスタグラム
桐本滉平のツイッター
桐本滉平のインスタグラム
桐本滉平のフェイスブック
桐本滉平の高校や中学の学歴は?
桐本滉平さんの通っていた中学については学校名は明らかになっていないものの、高校は石川県立輪島高等学校を卒業しています。
桐本滉平さんの出身中学や小学校、高校については学校名を特定できるだけの情報が出てきませんでした。
そのため地元の学校に通っていた可能性が高そうです。
なお、小学校から中学校にかけて公文式に通い、算数、数学、英語を学習していたとのことです。
桐本滉平の大学の学歴は?
桐本滉平さんの学歴について、高校卒業後はマーケティングを学ぶために日本大学商学部に進学しました。
大学4年生の際には、文部科学省の「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」に採用され、パリに留学しています。
まとめ:桐本滉平wikiプロフ|大学や嫁(妻)は?輪島の猫の支援でザ・ノンフィクション
桐本滉平さんは、江戸時代より漆器製造販売業を営む「輪島キリモト」の8代目です。 石川県輪島市出身で、 2024年現在32歳です。
■幼少期~青年期
子供の頃は昆虫博士に憧れるなど、自然に囲まれた環境で育ちました。
将来の夢を聞かれると「職人」と答えていましたが、それは周囲への気遣いからで、本心では家業を継ぐことに抵抗を感じていました。
中学生時代、能登半島地震の復興チャリティー企画で、ルイ・ヴィトンの次期社長と父親がコラボレーションする姿を目の当たりにし、「家業が国境を越える」ことに衝撃を受けます。
高校時代、東日本大震災を経験したことをきっかけに、日本の伝統文化や、自身のルーツである輪島塗の価値に改めて気づき、家業を継ぐことを決意します。
■大学時代~現在
大学ではマーケティングを学び、 在学中に文部科学省の留学支援制度「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」に採用され、パリに留学します。
パリでは、日本の伝統工芸品を扱うセレクトショップで販売員として働き、フランスの人々に「輪島塗」の魅力を伝えることの難しさを痛感します。
しかし一方で、素材や作り手の思いといった「人の感性に寄り添ったコミュニケーション」の重要性に気づき、 その後、エルメスの若手デザイナーとの出会いを通じて、輪島塗が世界で通用する可能性を感じます。
帰国後は、輪島キリモトで営業、企画、販売を経験した後、中島甚松屋蒔絵店の「中島和彦」氏に弟子入りし、漆器の制作や修復にも携わります。
2018年には、漆を科学とデザインの視点から捉え直した新ブランド「IKI -by KOHEI KIRIMOTO」をスタートさせました。 「IKI」の商品は、伊勢丹新宿本店などでも販売されています。
2024年1月1日、能登半島地震で自宅兼工房が全焼し、飼っていた3匹の猫が行方不明になります。 その後、自らも被災者という立場でありながら、被災地で迷子になった猫の飼い主を探す活動を始め、その活動は国内外で大きな注目を集めました。
■人物像
桐本さんは、子供の頃は周囲の顔色を伺ってしまう、協調性のある性格でしたが、 様々な経験を通して、自身の考えをしっかり持ち、行動できる人物へと成長しました。
伝統を守りながらも、新しいことにも積極的に挑戦し続ける、行動力と実行力のある人物です。