北野颯太は高校生からセレッソ大阪でプレーするサッカー選手。
年代別日本代表にも選出されている北野颯太さんの気になるプロフィールをまとめています。
北野颯太のプレースタイル・ポジション
北野颯太選手のポジションはFWながら右サイドハーフや右サイドバック(SB)などでもプレー。
スピードに乗った切れ味鋭いドリブルが持ち味。
スピードと高い技術力を活かした相手DFとの駆け引きでは、遠目からでも積極的にシュートを狙いに行きます。
惜しみなく守備ができる部分も評価されている
北野颯太の年俸・成績
随時更新
北野颯太wikiプロフィール
名前:北野颯太
出身地:和歌山県有田市
生年月日:2004年8月13日
年齢:18歳
身長:172cm
体重:60kg
利き足:右足
ポジション:FW
在籍チーム:セレッソ大阪
背番号:38
小学校:田鶴小学校
出身中学:調査中
出身高校:興国高校
セレッソ大阪の公式戦最年少出場記録保持者(16歳2か月12日)、得点記録保持者(17歳6か月17日)。
北野颯太の経歴
高校1年でセレッソ大阪U-23のJ3に出場、柿谷曜一朗の16歳10か月を更新するクラブ史上最年少の16歳2か月12日で公式戦デビューを果たした。
2022年2月18日、石渡ネルソン、春名竜聖らと共に再びJリーグ公式戦出場可能なユース選手としてセレッソ大阪に2種登録された[5]。開幕戦から公式戦2試合に連続で出場した。2月25日、柿谷曜一朗、香川真司に次ぐクラブ史上3番目の若さでセレッソ大阪とプロ契約を締結した[6]。3月2日、ルヴァンカップ第2節アウェーで開催された鹿島アントラーズ戦でプロ入り後初得点となる決勝点を決めて勝利に貢献した。17歳6カ月17日での得点は、南野拓実の2013年3月23日大分トリニータ戦での18歳2カ月7日を塗り替えるクラブのJ1最年少得点記録となった
ルヴァンカップでは準決勝浦和レッズ戦で途中出場からジェアン・パトリッキとの守備の連携から4点目をアシストし4-0の勝利に貢献、チームは2戦合計5-1で、2年連続決勝進出を決めた。2022年のニューヒーロー賞を受賞、高校生の受賞は史上初だった(クラブにとって2年振り2人目)
■所属クラブ
アルマフットサルクラブ
アルテリーヴォ湯浅
セレッソ大阪サッカースクールエリートクラス岸和田校
セレッソ大阪U-15
セレッソ大阪U-18
■代表歴
22年:U-19日本代表
└モーリスレベロT(フランス、6月)、U20アジアカップ予選(ラオス、9月)、スペイン遠征(11月)
21年:U-18日本代表候補
21年:U-17日本代表
└Balcom BMW CUP(広島、8月)
20年:U-16日本代表
└トルコ遠征(1月)、SBSカップ(9月)
19年:U-15日本代表
└欧州遠征(4月)、AFC U-16選手権予選(9月)、スペイン遠征(11月)
2023年のU-20アジア杯に臨むU-20日本代表メンバーは以下の通り。
GK
1 木村凌也(日本大)
12 春名竜聖(水戸)
23 彼島 優(流経大)
DF
2 中野伸哉(鳥栖)
3 田中隼人(柏)
4 菊地脩太(清水)
5 松田隼風(水戸)
13 諏訪間幸成(筑波大)
15 屋敷優成(大分)
19 高井幸大(川崎)
22 髙橋仁胡(バルセロナ)
MF
6 山根 陸(横浜)
7 松木玖生(FC東京)
8 佐野航大(岡山)
9 横山歩夢(鳥栖)
14 永長鷹虎(川崎)
16 保田堅心(大分)
17 熊取谷一星(明治大)
20 安部大晴(長崎)
21 甲田英將(名古屋)
FW
10 北野颯太(C大阪)
11 坂本一彩(岡山)
18 熊田直紀(FC東京)
北野颯太のツイッターやインスタグラム
北野颯太のツイッター
北野颯太のインスタグラム
@k.sota10
北野颯太のフェイスブック
北野颯太の高校や中学の学歴は?
北野颯太さんの通っていた高校・中学は次のとおりです。
小学校:田鶴小学校
出身中学:調査中
出身高校:興国高校
小学4年でサッカーを始め、アルテリーヴォ湯浅に加入。その後セレッソ大阪のサッカースクールエリートクラスに入ったが、最初は通うのが怖くなるほどレベルの差を痛感した。アルテリーヴォと並行して週1回エリートクラスに通った
小学6年の夏に和歌山県大会で優勝し、関西大会に出場、準々決勝で敗退。「上には上がいる」と肌身で感じたという。そしてセレッソ大阪U-15にスカウトされた[3]。
中学より和歌山から大阪に移りセレッソ大阪U-15に所属。2020年にトップチームに2種登録
北野颯太の身長・体重は?
北野颯太さんの身長体重は次のとおりです。
身長:172cm
体重:60kg
北野颯太の父親・母親・兄弟姉妹は?
北野颯太選手は父と3歳上の兄の影響で小学校に入る前から、小学校のクラブでプレー
ただセレッソ大阪の下部組織で本格的に活動を始めた中学1年から大阪市内で母親と兄と3人で生活を始めています。
仕事の関係で和歌山に父が載る逆単身赴任となり、家族がそろうのは月に数回という環境だったそうです。