マンガ「この世界の片隅に」のラストで水原哲は青葉で死んだ?生きてる?
青葉を見つめる水原さんの姿が描かれていましたが水原哲の生死は?すずは声をかけなかったということは死んでる?
【この世界の片隅に】水原哲は青葉で死んだ?生きてる?
『この世界の片隅に』について原作、映画どちらも終盤で、「青葉」が壊れている?描写があり、それを見ている水原哲がいます。
情景的には「青葉に乗っていた水原さんは戦死し、幻想として水原さんを捉えている」と解釈できそうですが、公式アートブックには、作者自ら「水原さんの生存は確認されている」としています。
原作者・こうの史代は、終盤に青葉を眺めている水原について、映画版の公式アートブックで以下のように答えています。
「すずと哲の事情を知らない人(刈谷さん)と一緒だったから、声をかけなかったんだと思います。もう別の人生を歩んでる人、周作の言葉を借りるなら選ばんかった道の人ですからね。」
このため、原作者としては水原が生きていたと考えていることになります。
『この世界の片隅に』で水原 哲というキャラは、すずさんの幸福な、無垢な子供時代と直結した存在。
原作でも映画でも、すずさんの空想や観念的なものは必ずタッチが変わりますので、あれは現実の哲で間違いないでしょう。
すずさんは苅谷さんとリヤカーを押しながら、苅谷さんの息子の死について当人から聞かされている…という悲しい展開でした。
隣保館の軒下で行き倒れていた被曝兵士が、実は…と。
「眼前の死にゆく息子に、声もかけず過ぎていってしまった」事を人知れず悔いながら、それでも気丈に歩み続ける苅谷さんと、「今、そこにいる哲に、『敢えて』声をかけずに過ぎる」すずさん。
この対比構図が成立するには、哲は幻影では無く、「いま」「ここ」に生きていてくれる必要があるわけで。
もし、哲が死んでいたのなら、青葉や波の白兎と一緒に空へと上がって行ったはずです。
あのシーンは、哲の「普通でおってくれ。まともでおってくれ」に対する「普通でなくなった=大人になった」というアンサーになっていたんじゃないでしょうか。
直前には「椿柄」の嫁入り衣装を売り払って「現在」の生活の足しにしていますが、「椿」は哲が「波の白兎」の絵のときにくれたプレゼントであり、嫁入り時の髪飾りでもあり、「江波=子供時代」の象徴でした。
これら「哲」「椿」「波の白兎」といった「江波=子供時代」への執着は想い出に仕舞うことで棄て、「呉=現在=北條家の人間」として生きて行くことを示唆した含蓄のある重要なシーンになっています。
哲はすずさんにとっての幸福な幼少期の象徴ではあっても、故に、今さら「いまここ」に現れられても、正直困る存在。
あの夜の騒動も含めて。何せ本作は、「ぼうっとした子」が、ムスメになりヨメになり、やがて一人の女性、オトナの女性…になる物語なのですから。
ひいては(血は繋がらないですが)母にも…。
哲とはそういった暗喩も込みの、最後には離反されるべくして登場した存在だったのでは
あの夜も、「鷺の羽」と共に現れた。埋め立て前の広島湾の干潟によくいた鷺は、つまり幸福で無心だった幼年期のすずさんの、劇中での象徴アイテムの一つでした。
ちなみに、リンさんは、原作でも「生死不明」です。
空襲後、遊郭の瓦礫の山が出てくる。そこに、女物の長い髪がベットリと…という、イヤな描写で終わっています。