『この世界の片隅に』で周作とリンはどんな関係なんでしょうか?
またリンさんの最後について、原作でははっきりとした描写はありませんでしたが死んだのでしょうか?それとも生きてる?
この世界の片隅に 周作とリンは浮気関係?
「この世界の片隅に。」で周作さんは遊郭でリンさんと遊んでいた過去があります。
たとえば徴兵検査のために村の先輩に付き添われて都会(師団所在地は当時としては都会です)に出て、無事合格したらお祝いに先輩のおごりで登楼…なんてのは割とよくあった話のようです。
リンさんはどこの出かも判らないのを遊郭の経営者(っぽい)老婆に拾われて下働きをし、そのまま長じて客を取るようになったけど相変わらず文盲です。彼女がいる遊郭はそんなに「高い」ところではないという想像もつきます。
周作さんは海軍に務めているとはいえ軍人ではないし職位も下っ端。もちろんリンさんとこの実家とかすずさんとこの実家とかに比べれば「海軍」はずっと「良い」職場ですのでそれなりにお金はあったと思われますが、あくまでも「それなり」でしょう。
周作さんは、なぜリンさんが好きだったのにすずさんと結婚した子供の頃会ってたからだと思われます。
実家から女郎として金で売られてきた女性、であるおリンさんと家庭が持てないのは、お互い最初からわかっています。
おリンさんに優しく出来るひととしてすずを見込んで結婚したのでしょう。
周作は遊女であるリンの身請けを家族から猛反対されていますし、リンを諦める条件として「昔出会ったことがある浦野すずという女性となら結婚していい」という無理難題を家族に出したところ、本当にすずが探し出されてしまい、結婚しなくてはならなくなったという経緯があります。
結婚した翌年の春(昭和20年4年)に二河公園へ家族で花見に訪れた際、周作はリンと再開していますが、一言二言挨拶をかわしてから立ち去っており、後を追いかけたり気にしているような素振りも見せていません。
劇中では「結婚後に遊郭へ行く様子が見られない」「親族からリンの身請けを猛反対されていた」などといった経緯から、リンとは疎遠になっていることがわかりますし、彼女のことを話題にするようなこともなかったので、ある程度ふっきれていたと考えることができます。
この世界の片隅に リンの正体は?最後は死亡・死んだ?
ドラマ「この世界の片隅に」ではリンさんは呉工廠(造船所など)を攻撃対象にしたアメリカ軍による爆撃で遊郭の双葉館も誤爆され、勤めていたリンさんも巻き添えになりました。
「死んだリンさんとも、共に行きていく」
この具現化が、ラストで戦災孤児(ヨーコちゃん、と言います)を引き取る展開だと思います。
広島で法務の残務処理を終えて戻ってきた周作と再会した折にすずさん夫婦は孤児のヨウコと出会います。
ヨウコは戦争で失った晴美とほぼ同い年。ヨウコに晴美が重なって見えたし、ヨウコも母と同じく右腕を失っているすずさんが母のように見えた。
あの子は、作品始めに登場した「座敷わらし」と意図的に重ねられています
周作の本心が分からない中、相談相手に選んだのが騒動の原因であるリン。
すずとリンは親友同士になっていく。
(祖母の屋根裏に住み着いていた座敷わらしがリンの子供の頃の姿だとは気づかない)
そしてあの座敷わらしは、そうと明示されてはいませんが、間違いなくリンさんの子供時代。恋敵で劣等感の対象だった人物のいわば「生まれ変わり」の子を、我が子として引き取るという展開なわけです。
同時にヨーコちゃんは、あの途中で亡くなった姪っ子の晴美ちゃんのこれも「生まれ変わり」…もっと言えば「身代わり」の様な立ち位置でもあります。
さらにはヨーコちゃんは、「広島から背負われて連れ去られ、呉へ行った女の子」…つまり、すずさん自身でもある。
こんな風に本作は、一つの要素に複数の意味を持たせた伏線がちりばめられています。
空襲があった後遊郭跡に行ってリンの髪の毛と茶碗が転がっているシーンがあり、あのときすずが「これはこれで贅沢な気がするよ」と言いますが、というセリフは、その前のお花見の樹上でのリンさんの
「死んだら心の中の秘密も、なんも消えて無かったことになる。それはそれでゼイタクな事かも知れんよ」
と対です。
すずさんにとって、リンさんは嫁ぎ先の異郷で会った、初めての同郷の友達。
と同時に、夫 周作さんがかつて入れ上げ、ホンキで身請けを考えていたという、いわば「恋敵」。
そしてそれは、自分が知らない周作さんをも、自分より深く知っている「何一つかなわん」相手…という、劣等感の対象でもある。
すずさんはリンさんの「代用品」なのか?という重い問いが、その茶碗と、そして自作の炭団(たどん)でクローズアップされていましたよね。
劇中は、空襲下みなが明日をも知れず生きている時代でした。
すずさんは、もし死んでもおおぜいが悲しんでくれる。その死後も覚え続けてくれるであろう人達がいる。
が、リンさんはあのテルちゃんの様に、無残で寂しい死を強いられるでしょう。
が、そのある意味うらやましいヒトの、夫のハラの奥底に、リンさんの記憶は残る。他の誰にも知られず。(リンさんは、周作さんと自分の過去を、すずさんが気づいているとは知りません)
つまり、例え自分自身は死のうが、あの夫婦が生きている内は、自分は二人に人知れずのしかかり寄り添い、影を落として存続し続ける事が出来るのです。
死んだ所で誰も悲しむ者はいない自分が、自分より恵まれた境遇のこの人(前半のざしきわらしとスイカと着物の下りを思い出して下さい)と、その夫の、心の奥底・“影”に潜んで生き続ける事が出来る…!
この屈折したある種の暗い優越感…これがリンさんの言った「ゼイタク」ではないでしょうか?
ですがすずさんは、夫とお互いの「昔の人」をさらけ出し合いました。
唯一の友達のリンさんの、ささやかな「優越感」だった秘密を、夫婦で暴露し合う事でそれをかえって夫婦間の絆にしたのです。
「ごめんなさい。リンさんのこと、秘密でなくしてしもうた。でも、これはこれでゼイタクな気がするよ」
は、これではないかと
リンさんは、密かな優越感の中で、ひっそりと永遠に生き続けるつもりが、そうでなくなった。満天下にさらされ、皆が公然と語る所となった…
すずさんは、秘められてひっそり永久に生き続けるつもりだったリンさんを、独りでなく皆と一緒の場に引き出し、自分たちがリンさん含めこれからも共に生き続ける糧にしたのではないでしょうか。