「これが私の生きる道」はパフィー(PUFFY)による2つ目のシングルで、オリコンチャートでは3週連続1位を獲得するなど驚異的なヒットとなりました。
デビュー当時は「長く続くわけがない」なんてレッテルを貼られながらも数々の代表曲を持つパフィー(PUFFY)ですが、「これが私の生きる道」が資生堂CMに起用された背景にはある理由がありました。
■演奏
PUFFY:ボーカル
奥田民生:ギター、ハーモニー
古田たかし:ドラムス
長田進:ギター、ブルースハープ
根岸孝旨:ベース、ハーモニー
斎藤有太:キーボード
■チャート最高順位
週間1位(3週連続、オリコン)
1996年度年間16位(オリコン)
1997年度年間57位(オリコン)
オリコン歴代シングルランキング76位
これが私の生きる道(パフィー)資生堂CM起用の裏話!
「これが私の生きる道」というタイトルは植木等・ハナ肇とクレージーキャッツの「これが男の生きる道」のパロディ。
プロデュースは、デビューシングルの「アジアの純真」から引き続き奥田民生さんが担当。
ファーストシングル「アジアの純真」ではキリンビバレッジ「天然育ち」とのタイアップもあったものの、セカンドシングル制作当初はCMソングとしての条件は出されず、好きに作り上げていいということで、奥田民生さんは、遊び心を詰め込んだ曲を作る事にしたそうです。
サウンドは、自分が大好きなビートルズをモチーフとしてギターのリフにはビートルズの初期の曲「デイ・トリッパー」を連想させるフレーズを入れています。
他にも、ビートルズのサウンドを数多くオマージュしており、一例をあげると下記の通り!
「Ticket to Ride」
「I Want to Hold Your Hand 」
「That’s Means A Lot」
「From Me to You」
「A Hard Day’s Night」
「All My Loving」
「She Loves You」
「Day Tripper」
「It Won’t Be Long」
「Mr.Moon Light」
「Nowhere Man」
「I’m Happy Just Dance With You」
「Please Please Me」
「Twist and Shout」
「No Reply」
この曲を聴いた人達が「古き良き時代を思い出してくれれば」という思いで聞いた人が、懐かしさを感じてもらえるように、レコーディングも、現代音楽としては珍しく敢えてのモノラル録音となりました。
そしてこの曲にはCMソングとしての仕掛けが密かに忍び込ませてあります。
タイトルの「これが私の生きる道」に含まれる漢字3文字。
タイトルに含まれる漢字、私、生きる、道を、音読みでを繋げると「私生道(しせいどう)」となり、タイアップ元の資生堂の当て字になるという遊びが取り入れられました
こうしてセカンドシングル「これが私の生きる道」には、化粧品の資生堂からCMソングのオファーが届き、資生堂のヘアケア製品ブランド『ティセラ(TESSERA)』CMのイメージソングに起用されたのでした。
「これが私の生きる道」は1997年の春の選抜高校野球大会の入場行進曲にも選ばれています。
これが私の生きる道のパフィー略歴
パフィー(PUFFY)は1994年に結成され、メンバーは当初から現在まで大貫亜美と吉村由美の2人。解散や活動休止などはしていません。
もともとソロ歌手として別々にデビューする予定だったものの大貫亜美さんがソロデビューに不安を抱えていたことから、吉村由美さんとのデュオを事務所(現・ソニー・ミュージックアーティスツ)に提案。
すると、すでにソロ音源が録音されていたにも関わらず、その提案はすんなり受け入れられると、大貫さんのアルバム製作に携わりデュオのプロデュース業に関心を示した奥田民生さんに託されることになります。
ちなみに、「PUFFY」といいうユニット名の由来は、奥田さんが親交のあった、アメリカのロックバンド、ジェリーフィッシュのドラマー、アンディ・スターマーさんが命名しています。
1996年5月にファーストシングル「アジアの純真」がミリオンヒットとなると、以降も1997年の4THシングル「渚にまつわるエトセトラ」まで、4作連続のミリオンヒット
1998年には台湾に進出し、発売したCDすべてがゴールドディスクを受賞。
2004年にはパフィーをモデルとしたアニメ「ハイ!ハイ!パフ―・アミユミ」が全米でブレイクしています。
吉村由美は1999年に西川貴教と結婚するも、2002年に離婚。
2010年に一般人男性と再婚した。
■大貫亜美(おおぬき あみ)
1973年9月18日
年齢:47歳
身長:155㎝
出身地:東京都
中学校:横浜市立中山中学校
出身高校:神奈川県 荏田高校
最終学歴:専門学校 神田外語学院
大貫亜美の夫は2002年4月に結婚したGRAYのTERUさん。
TERUさんにはデビュー前から交際をしていた女性がいたとされ、大貫亜美差との結婚は「略奪婚」とも言われました。
大貫亜美さんは9歳から小学校6年生まで家族でソウルへ移住していたことがあります
中学校時代は剣道部に所属し、英語が堪能だった父親の影響もあって、学生時代は英語が得意で将来の夢はスチュワーデスでした。
■吉村由美(よしむら ゆみ)
生年月日:1975年1月30日
年齢:46歳
身長;161㎝
出身地:大阪府
小学校:寝屋川市立中央小学校
中学校:寝屋川市立第一中学校
出身高校:大阪府 東洋家政高等専修学校(中退)
中学時代は陸上部に所属して、走り幅跳びで市の大会で優勝するといった実績があったものの、中学時代はヤンキーだったと言われています。
進学した高校もわずか1ヵ月で中退すると、カラオケボックスや建築現場などのアルバイトをしています。
17歳の時にソニー主宰のオーディションで準グランプリに輝いて、ソニーミュージックに所属するようになります。