小坪トンネルとは神奈川県の鎌倉と逗子を結ぶ道にあるトンネルで、古くは川端康成の小説でも取り上げられたことがあります。
川端康成は超常現象に対する造詣が深かったことが知られているように、小坪トンネルも怪談めいた話で紹介されています。
小坪トンネルの心霊事件の歴史
小坪トンネルは川端康成が小説で紹介をしているくらいですから、昭和に入るころにはすでに知る人ぞ知る心霊スポットだったようですね。
よく聞かれるのが女性が登場するケースで、トンネルを車で通過していると
女性の幽霊がボンネットに落ちてきた
見知らぬ女性の霊が後部座席にいた
トンネル手前に佇む女性がたたずんでいた
ガラス窓にたくさんの手形がついていた
といった現象が起きたという口コミが多くみられ、幽霊がらみの交通事故も発生しているとされています。
女性らしきものが車のボンネットに「ドン!」とすごい音で落下してきても、車を降りてボンネットを調べても女性はおろか車には傷一つないとか、
トンネルの中を走っていると、こちらを手招きする女性を見かけたものの怖いのでそのまま通り過ぎたら、バックミラーにその女性の姿が映っていたなんていうエピソードが数多く残されています。
調べてみると、小坪トンネルが心霊スポットとしてみなされる背景には、
鎌倉から逗子にかけては鎌倉幕府が開かれて以来、数多くの名も無き激戦が繰り広げられていたようで、無念の死を遂げた怨念が残されているのでは?という噂もあるようです。
小坪トンネルの場所
住所:神奈川県逗子市小坪7丁目30 県道311号線
通称「お化けトンネル」と呼ばれる小坪トンネルは実は6つのトンネルの総称で鎌倉から逗子に行く途中にあります。
「小坪隧道」「逗子隧道」「名越隧道」「新小坪隧道」「新逗子隧道」「新名越隧道」がある中で、
最も幽霊の目撃証言が多いのは「小坪隧道」「名越隧道」の2つのようです。
トンネルの上には古くから火葬場があったことも噂に火をつけていましたが、
2019年9月の台風15号ではの土砂崩れの被害に見舞われて小坪トンネルは通行止めとなっていた時期がありました。
改修工事が進んで現在は以前よりは通行しやすく(?)なったかもしれません。
小坪トンネルの心霊事件が有名になったきっかけ
小坪トンネルは川端康成の小説でもともと知名度は高かったものの、その名を全国にとどろかせたのはおそらくキャッシー中島さん心霊体験じゃないかと思われます。
ハワイアンキルトの第一人者としても活躍しているキャッシー中島さんがまだタレント活動に力を入れていたころ、テレビ番組で小坪トンネルでの体験を語って話題となりました。
心霊スポットだということで、キャッシー中島さんが何人かの仲間を集めて小坪トンネルに行ったところ、
前方から青白い塊が向かって来たと思ったらフロントガラスにあたり無数の手形になるのを全員が目撃。
運転手は慌ててトンネル出口に車を走らせると、車の天井から「ドスン」と大きな岩が落ちたかのような音と振動が社内に響き渡ります。
トンネル出口まで何とかたどり着いたところ、キャッシー中島さんたちは仲間が1人いないことに気づき、
偶然その場を通りかかったタクシーの運転手に頼んで、トンネルに戻って仲間を発見。
しかしその仲間はただただ薄笑いを浮かべるのみで、明らかに精神が崩壊した様子で、そのまま精神病院に入院。
その後も回復することなく今現在はどうなっているかはわからないそうです。
小坪トンネル登場の心霊事件の真相は?
小坪トンネル登場で相次ぐ心霊事件の真相は、おそらくは人間の認識システムのバグ(誤解)にあると思われます。
例えば、探し物ををしていて家中を探し回ってみたけれど、見つからないものがあった時、実はすぐ目に付く場所に探し物があったりすることがあります。
私たちの認識力というのは極めてあいまいで、視界に入っているものでも「重要ではない」と判断されると、視界から消え去ってしまうことが知られています。
認識力の脆弱性を示す有名な実験に「バスケットゴリラ」というものもあります。
逆に言うと、私たちは認識のバグによって、本来ならば存在しないものも見えてしまうことがあるということになります。
実際に「気の模様が人の顔に見える」といったことは誰もが経験したことがあるでしょう。
恐怖にかられるあまり、自分自身が恐怖を感じる対象を錯覚的に引き起こしてしまうのが心霊現象の一つの正体ではないかと思われます。
小坪トンネル登場の川端康成の小説「無言」あらすじ
川端康成が小坪トンネルを扱った小説は「無言」というタイトルで、「川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫) 文庫」に収録されています。
川端康成は友人・今東光の父親の語る神智学の刺激もあって、かなり早いうちから心霊学や死後生について深く勉強するようになり、
自分の死んだ息子の霊界からの通信をまとめたという本を執筆した特にイギリスの物理学者で心霊学者オリバー・ロッジの『レイモンド』を熱心に読んでいたそうです。
小説『抒情歌』に川端康成のそうした価値観多が強く反映されているとみられています。
■小説「無言」あらすじ
宮明房という66歳の小説家。病気で舌も右手もしびれ、寝たきりでも一言も言わず一文字も書かなくなってしまった。そんな明房老人を「私」が、見舞いに行く。タクシーに乗って、鎌倉から逗子へ向かう途中にトンネルがあり、そこをとおりかかったときに、運転手から幽霊の話を聞く。幽霊は、美しい女で無言で乗っている、と。
明房老人は妻に早くに死に別れ、長女の富子に面倒を見てもらっていた。富子は、父親の世話をしているうちに婚期を逃し、既に四十である。
無言で寝ている老小説家の枕頭で、「私」と富子は、おしゃべりをする。それを、明房老人は、黙って聞いている。富子は、父はまだ書きたがっているように思える、自分が父の代わりに父の私小説を書いてみようか、などと言う。
「私」は、富子が食事の支度に立っている間、明房老人の枕頭で酒を飲みながら、ひとりでしゃべり続ける。何を言っても無言の相手に、左手で文字を書くことを勧め、一文字の持つ力を力説したりする。
明房老人と富子との意思の疎通に奇怪なものを感じながら、「私」は、帰りのタクシーに乗る。トンネルを鎌倉側に抜けて、火葬場の下にさしかかったとき、
「おい出たか」
「出ました。旦那の横に坐ってますよ」
「私」には幽霊の姿は見えない。もしいるのなら何か話しかけてみようかと強がる「私」に、運転手は答える。
幽霊としゃべるのは、たたりますよ。とりつかれますよ。おそろしいやめてください。黙って鎌倉まで送ってやりゃいいんですよ。
どうやら「私」は、たたられ、とりつかれてしまったようなのだ…