皇居になぜ楠木正成の銅像?場所・アクセスは?

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なぜ皇居に楠木正成の銅像があるのでしょうか?

楠木正成が仕えた後醍醐天皇は、吉野の南朝の天皇で現皇室は北朝のはずですがなぜ皇居に銅像がある?

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皇居になぜ楠木正成の銅像?

なぜ皇居に楠木正成の銅像があるのかとうと、鎌倉幕府とは対立しましたが、皇室への忠義を貫いた人だからです。

楠木正成は後醍醐天皇を支えたので、天皇に忠誠を尽くした武将として戦前の歴史教科書で取り上げられていました。

明治42年(1909)に文部省が発行した国語の教科書『尋常小学読本』巻7には、死を覚悟で足利尊氏の大軍を迎え撃とうしていた楠木正成が11歳の息子正行(まさつら)に後醍醐天皇への忠誠を尽くすよう諭す場面などが絵入りで紹介されています。

また、明治政府は大覚寺統(亀山天皇の系統)を正統な系譜と取った事も影響にあります。

合戦名は思い出せませんが、300名で足利尊氏を迎え撃てと南朝に命令された時、正成は最期だと悟り息子の正行を赤阪城(大阪の千早赤阪村)に帰して、弟の楠木正季と共に出陣して敗れて自刃。此の最期を見習えと当時の日本国民は軍人や学校から叩き込まれ、皮肉にも楠木正成は天皇の守護神と云う英雄として祀りあげられたのです。

皇居の楠木正成の場所・アクセスは?

楠木 正成 像
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楠木正成の銅像皇居外苑の南東の一角、馬場先門(ばばさきもん)にあります。

■〒100-0005 東京都千代田区丸の内3丁目2

まとめ:皇居になぜ楠木正成の銅像?

1332年、鎌倉幕府は当時の天皇を「反乱を企てた」として逮捕、島流しの刑にします。

これをキッカケに様々な人物が「打倒・鎌倉幕府」を掲げて立ち上がりますが、最も早く軍事行動を起こしたのが楠木正成です。

その後、幕府側のエース足利尊氏が裏切ったことにより鎌倉幕府は崩壊しますが、次には天皇と足利尊氏の権力争いが始まります。

ここでも楠木正成は天皇側に味方します。

それもただ味方するだけではなく、どんなに冴えた進言をしても却下され、マヌケな上官の下に組み入れられ、マヌケな作戦につき合わされる等しますが、それでも腐らずに天皇側として闘い続けます。

最終的には、(彼としては)負けるとわかっている戦いに挑まされ、奮戦むなしくボロ負けした挙句、本人も絶体絶命のピンチに陥り、戦場にて切腹してしまいます。

と、このような一連の行動が「命を捨てても天皇のために戦った」と解釈され、「忠臣」とされている人物です。

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