高野山の奥の院にはなぜか戦国武将の墓があちこちに点在することで知られています。
一の橋から御廟につながる奥の院参道の約2kmを進むと、両脇におよそ20万基を超える戦国武将のお墓がずらり
武田信玄と上杉謙信といったライバル同士の武将もいれば、石田三成や明智光秀など悲運の最期を遂げた武将のほかにももちろん、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康まで。
皇室・公家の数々のお墓もある奥の院は世界遺産に登録されています。
高野山の奥の院になぜ戦国武将の墓?理由は?
高野山・奥の院の御廟橋の先にある灯籠堂野浦には空海の霊廟があり、今も人々のために祈り続けているとされる空海のために今も食事(生身供、しょうじんぐ)が白木の箱が燈籠堂へ毎日運ばれています。
そんな高野山の奥の院には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など名だたる戦国武将の他にも、松尾芭蕉など多くの歴史上の有名人のお墓が建立されています。
彼らの元のお墓は高野山以外にあることも多く、分骨して高野山奥の院にお墓が建立されていますが、なぜ分骨してまで高野山奥の院にお墓を建立されているんでしょうか?
その理由は極楽浄土信仰にあるようです。
お経(般若心経)によると釈迦の入滅後の56億7000万年後(5億7600万年後とも)に弥勒菩薩が救世仏(きゅうせいぶつ)として兜率天からこの世に出現するとされています。
その弥勒菩薩が現れるとされる場所が3つあり、一つが高野山奥の院とのこと。
釈迦の弟子だった弥勒が人間世界に再来すると人々を救うとされ、空海も弥勒菩薩に付き従いこの世界に来生されると言われています。
その来生の時をより近くで見るために特等席である奥の院にお墓を作ったと言われています。
他にも高野山は「天下の総菩提所」という思想が「死者の魂は高野山で弔えば、大師・空海の偉大な力によって極楽浄土へ行くことができる」といった感じに解釈され、
空海が開山した高野山で眠れば必ず極楽浄土へいけるという信仰が生まれたようです。
高野山ももともとは平安時代に数多く存在した荘園などによる経済的基盤で支えられてきた仏閣の一つ。
ところが戦国時代になると、戦国大名などによる荘園侵略が横行したため、各地の有力な武士と師檀関係や宿坊契約を結び、寺領の存亡を託すことになりました。
寺院の思惑と武士側の高野山に対する信仰心が結びついたことも、高野山の奥之院に多数の戦国武将の墓が設けられる要因ともなったようです。
■高野山の奥の院にある主な戦国武将の墓
平敦盛
島津家
森忠正
佐竹家
河野道直
徳川頼宣
武田信玄・武田勝頼
上杉謙信・上杉景勝
明智光秀
石田三成
柴田勝家
毛利家
最上義光
前田利長
黒田家
結城秀康
本田忠勝
豊臣家
黒田官兵衛
織田信長
播磨竜野
脇坂家
浅野家
伊達政宗
井伊掃部頭(直弼)
浅野内匠頭
赤穂四十七士
市川團十郎(初代)
松尾芭蕉
引用:http://inoues.net/club/okunoin.html
ちなみに、高野山にある一番大きな武将の墓はなんと三代将軍家光公の生みの親、お江(ごう)の方。
織田信長の妹・お市の方の三女で徳川二代将軍秀忠公の正室となった女性で。
高野山の中の橋までの新しい道を通ると企業の供養塔が多く、ヤクルトのケースを模したものやロケット型の供養塔などが並んでいます。
UCCホールディングス
ヤクルト
福助
パナソニック
新明和工業
キリン
日本しろあり対策協会
高野山の奥の院は怖い?頭痛や体調不良も…
ちなみに高野山も比叡山と同じく織田信長によって侵略される危機に瀕していました。
ところが高野山の総攻撃の計画中に、明智光秀によって本能寺の変で暗殺されています。
他にも豊臣秀吉も高野山を中心とする真言宗勢力を支配すべく総攻撃仕掛けるものの失敗に終わっています。
高野山にとっては少なくとも明智光秀は恩人ともいえる人物で、明智光秀が本能寺の変を起こした理由の一つとしても上げられます。
織田信長にとっては許しがたい存在と言える明智光秀のお墓に関しては、墓石が割れる(大きくひび割れする)といった事象が報告されているとか。
五輪搭と呼ばれる高野山独自の墓石は空、風、火、水、地を表現しているそうですが、
明智光秀のお墓は今までに何度つくり直しても、そのたびに信長の怨念か墓石が割れてしまうようです。
ただ明智光秀のお墓に関しては、銘文がなくあくまで伝承で光秀の墓といわれているようです。
こうした常識では考えられない出来事が起きることから、高野山の奥の院の墓石軍をひときわ怖いと感じたり、中には頭痛や体調不良を経験する人も多いようです。
309 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/19 00:10
私は仕事の関係で、アジア圏を中心に出張や短期駐在に行くことがあります。
こういう生活を続けるとかえって日本の風物が懐かしくなるもので、
いまの趣味が休日利用の温泉や神社仏閣巡りが中心になってます。で去年の夏、高野山に行ってきました。
そこの奥の院というところは、いろんなお墓があることで有名な霊域ですが、
そこに行ったらどうしても足が横道にそれて、私には関係のない墓に立ち止まってしまいます。
ああ、引っ張られてるなと思いましたが、これも何かの縁と般若心経を唱えました。
そしたら次もまた引っ張られて心経、また引っ張られて心経と繰り返してました。
いくつくらい廻ったのかわかりませんが、
奥の院というところは、入り口から弘法大師の眠る御廟まで一時間強もあれば帰って来れるところですが、
私はそんなことしてたから3時間半ほどかかりました。
実はここに来るまで左肩がやたら重かったのですが、
ひとつひとつそうした墓や碑を過ぎるたびに軽くなってきたことも覚えてます。そして其の夜、旅先の旅館で夢をみました。
310 :あなたのうしろに名無しさんが・・・:02/09/19 00:11
その夢は馬や牛、イヌ、鳥、珍しいところではもぐらやカワウソみたいなたくさんの動物くんといっしょに、
円座になって酒を飲んで歓談しているものでした。
人間は私だけでしたが、覚えてるのはつまみは枝豆と豆腐くらいしかなかったことかな?
さすが動物宴会だ、肉がないって変に感心しながら楽しんでました。霧のようなものがでてきたので、「そろそろお開きだ」って馬さんが言い出し、みな片づけをし始めました。
そして皆こっちを向いて、「ありがとう」と挨拶。
「え、おれ、なんもしてないよ」って言いながら視線を彼らに向けると、
皆人間の姿になっていて、軍服を着た人、レトロな背広を着た人、ドカチンスタイルの人、モンペを着た女性が十数名、
手を振りながら霧のなかに消えてゆきました。そこで目が覚めました。
あまりに強烈な夢だったので、いろいろモーニング食べながら考えてましたら、
昨日の高野山の一件を思い出しました。
そういえば昨日いっぱい拝んだ墓は、
『海外物故者』とか『航空兵』とか『近衛兵』とか『陸軍なんとか』『海軍かんとか』って書いてたな。
きっと海外にいたときに私の身体について、ここまで一緒に来たんだな。
それでわざわざ夢にでて、御礼を言いに来てくれたんだ。
そういや、ここに来る前には重たかった左肩も、いまはすっかり軽くなってる・・・怖くはなかったです。
https://nazolog.com/blog-entry-4440.html
それよりも、私を驚かさないように愉快な動物くんになって来てくれた事のほうが、うれしくて悲しかったです。
今度でて来るときはそのまんまの姿でいいよ、怖がらないから。