宮澤賢治の「やまなし」でクラムボンの正体は?
クラムボンはカプカプ笑ったよ
クラムボンは死んだよ
とありますが、どういう意味なんでしょうか?
クラムボン(やまなし)を考察
小学生の国語に出てくる宮沢賢治『やまなし』の『クラムボン』ついて。
宮沢賢治の『やまなし』には元ネタの東北民話があるそうです。
『やまなしもぎ』という怪談で、(おそらく子供の水難事故を防ぐための伝説と推測します)
怪談『やまなしもぎ』は東北の人(しかも宮沢賢治が生きていた明治・大正時代)が知っていたお話で、今はあやうく絶滅しかけていたものを、平野直という人が絵本にしてくれていたりするのです。
『やまなしもぎ』では病気の母に食べさせるやまなしを取りに、3兄弟が順番に山に入りますが、途中で出会う老婆の言うことを聞かなかった太郎と次郎は「ぬまのぬし」に呑まれてしまいます。
末息子だけは言うことを聞き、沼のほとりのやまなしの実を手に入れると、ぬしを殺し、そのおなかを切り裂いて兄たちを救い出すというお話(「おおかみと七匹のこやぎ」みたいに)。
『やまなしもぎ』に出てくる「やまなし」は奥山の沼のそばにはえていて、それを食べると病気のお母さんがけろりと元気になるような食べ物ですが、いわゆる日本梨の原種「ヤマナシ」、その東北版「イワテヤマナシ」というのがあるのだそうです
『やまなし』が『やまなしもぎ』からのインスパイア物だとすれば、クランボンは妖怪の名前か、歌うやまなしの木の精の名前かです。宮沢賢治が彼らに自己流の名前をつけて人格化をしているのだと思われます。
クラムボン正体を考察
クラムボン正体については様々な説があります。
1、アメンボ説
2、小生物説
3、蟹の吐く泡説
4、光説
5、crabからの連想説
6、蟹の母親説
7、蟹語説
8、解釈してはいけない説
9、全反射の双対現象として生じる外景の円形像説
1、母蟹じゃないか?
やまなしに母蟹が出てこない所から。
「イサド」とは、母蟹が住んでる町じゃないか、という説です。
2、カニ達の吹いた泡では無いか?
殺されたのに、また笑った…
教科書などにも泡のような絵が載ってます
3、解釈してはいけないのでは?
蟹の言葉だから分からないのは当たり前という説もあります。
また、宮沢賢治はあえて分からない言葉にすることで、我々の想像力を試してるのでは無いでしょうか、
4、生き物説
プランクトンのような小さな生き物かも知れないという説です。
「死んだ⇒笑う」から、沢山居るかもしれないと。
5、アメンボ説
新聞掲載された無校訂のものは二カ所がクラムボンではなく「クラムポン」だったそうです、
初期形原稿が公表されるまでこの「クラムポン」が単なる誤植であるかどうかは定かではなかったらしいです。
おそらくここからの連想で、英語の「cramp」「clamp」により、かすがい・気根と解釈され、それがアメンボの作る形相と似ていることから類推されたと思われます。
6、光じゃないか?
「魚がこんどはそこら中の黄金の光をまるつきりくちやくちやにして」
というところからの連想です。
朝=笑う
夜=死ぬ(殺された)
ではないか、という説です。
クラムボン意味カプカプ笑ったよ,死んだよ
クラムボンの正体は賢治さんでないと分からないといったところでしょう。
ただ、clam bone (二枚貝のホネ=貝殻)説だとすると、その場合、貝殻が波にゆられるさまを「かぷかぷ笑った」と表現していることになります。
貝殻はかつては生きていた貝の残骸なので、「クラムボンは死んだ」、他の生物に捕食されたのだとすると「クラムボンは殺された」ということになります。クラムボンは食物連鎖の残骸です。「やまなし」のテーマは「食物連鎖の理解」です。
*賢治は童話「畑のへり」で、一列に植えられたトウモロコシを「歯が七十枚ある幽霊を脇にかかえたカマジン国の兵隊」と表現しています。それと同じように貝殻を「貝の骨」に見立てたのではないかと推測します。
蟹説、泡説、光説、アメンボ説、子供説といろいろあるのですが賢治さんはアイヌの研究もされていて、詩にも時々アイヌ語が出てきます。 アイヌ語でクラムボンは、小さい人つまり妖精コロボックルとする説。
クラムボンは「kur=人」「ram=低い」「pon(bon)=子」とアイヌ語の単語にそれぞれ分解することができ、これはアイヌに伝わる伝説の小人・コロボックルだと考えられるという説です(ちなみにイサドは「i=そこの」「sat=乾いた」「to=沼」で「例の乾いた沼」となります)。
大昔、和人に滅ぼされたアイヌ人をしのぶ一節という解釈もみられます。