待寺優さんはダウン症を抱えながらもダンサーで歌手という芸能活動をしていてフジテレビ「ザ・ノンフィクション」でもたびたび紹介されています。
ハンディキャップを抱えながら果敢に挑戦を続ける待寺優さんの気になるプロフィールをまとめています。
待寺優(ダウン症のダンスでザ・ノンフィクション)wikiプロフィール
名前:待寺優(まちてら ゆう)
生年月日:1990年2月14日
年齢:31歳
出身地:神奈川県小田原市出身
待寺優さんは兄、姉のさん人兄弟の末っ子として誕生しましたが、他の兄弟と違っていたのは染色体異常という先天性疾患を抱えていたこと。
21番目の染色体が1本多いダウン症で待寺優さんは肉体も知能も発達が遅い体で生まれてきました。
待寺優さんの場合、合併症で心臓に穴が空いていたため、生後9ヵ月の時には生死を彷徨っているように同じ年齢の子供と比べるとどうしても体力もなく心臓が強くありません。
激しい運動は避けるべきといわれ、待寺優さんの母の幸さんも「暗黒の世界に落とされた」と当時を振り返っています。
今だからこそ打ち明けられますが、ダウン症に対する理解がなくまだ偏見が強かった30年前には優さんの顔を見るのが辛くて、奥の部屋のベッドの中に入れっぱなしにして、何時間も放りっぱなしにしたこともあるそうです。
待寺優(ダウン症のダンスでザ・ノンフィクション)の経歴
待寺優さんにとって人生をひっくり返すほど大きな出来事は12歳の時にラブジャンクスでの活動を始めたこと。
ダウン症の方々が活動するに設立から参加したことが、大きな転換点となりました。
「ラブジャンクス」では主にダウン症のあるメンバーが活躍する場を提供するための組織で、歌やダンスなどのレッスンに取り組んでいます。
待寺優さんも筋力が弱いとされつつも、ダンスとトレーニングを毎日続けることによって、いつしか腹筋が割れるほどに。
17歳の時にはプロの舞台にも立っています。
一時は、ホルモンなどのバランスが崩れや燃え尽き症候群のような感じでメンタルが落ち込んだことはあるものの、どうやら待寺優さんにとっては遅れてきた思春期だったようです。
20歳を迎えるころには再び待寺優さんは活発に活動を始めていて、ダンスだけでではなく歌にも取り組んで2017年にはCDデビューも果たしまます。
ただ待寺優さんは発語障害もあり最初は1つ1つの言葉を上手く歌うことができないというマイナスの位置からのスタートでした。
曲を覚えるために家中の壁に歌詞を貼り、親交があるパニクルーのメインボーカル・植木豪さんに指導を受けるなど、デビューに向けて猛特訓を重ねていた様子がテレビでも紹介されています。
2014年の24時間テレビには「白A」とともにダウン症があるダンサーとして出演
「白A」とは音楽と映像に実際のダンスをシンクロさせる世界的エンターテイメントパフォーマー集団で、待寺優さんは歌舞伎役者の片岡愛之助さんと武道館でダンスを披露。
また、世界ダウン症の日となる3月21日にYouTubeで豪華メンバーたちとダウン症PRプロジェクトを発表しています。
■YouTube出演者一覧
戸田恵子
植木豪(PaniCrew) PaniCrew
DA PUMP
MAX
三浦大知
Lead
w-inds.
フェアリーズ
知念里奈
CHICO CARLITO MASAYA(LL BROTHERS)
SKE48
HKT48
エハラマサヒロ
伊藤一朗(Every Little Thing)
KEN、YUKINARI(ex-DA PUMP)
アレックス・ラミレス(横浜 DeNA ベイスターズ)
ストロングマシーン・J (ドラゴンゲート)
金石勝智(リアルレーシング)
MC KENSAKU&MC MIKI
MCU(KICK THE CAN CREW)
千晴
神風
琉球の風なの?(w-inds.tv )