丸に梅鉢の家紋の意味・先祖は?
丸に梅の花の家紋の先祖はどこの人なんでしょうか?ルーツは?
丸に梅鉢の家紋の意味・由来・先祖は?
「丸に梅鉢」のように梅の花を図案化した紋は古くからあり、奈良時代には既に用いられていたようです。
最も有名なのは、やはり菅原道真(すがわらのみちざね)
平安時代の政治家であり、学者であった人物。
政治的な争いに巻き込まれて左遷された九州の大宰府には、
『東風(こち)吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ』
と詠んで庭の梅を愛でていました。
不遇のうちに亡くなった菅原道真は、いつしか『学問の神様=天神様』として信仰を集めます。
そのため梅鉢紋は菅原道真を信仰する人々の家紋として多く採用されています。
一例として美濃国(いまの岐阜県南部)は天神信仰が篤く、当地をルーツとする武家に梅鉢紋が多いそうです。
とはいえ、「丸に梅鉢」は全国的に広く普及している紋ですから、それ以外の地域でもごく普通に見られる紋だと思います。
まとめ:丸に梅鉢の家紋の意味・由来・先祖は?
梅が日本に伝来したのは、3世紀の終わり頃。百済(くだら)の帰化人・王仁(わに)がもたらしたとする説や、欽明天皇(531年即位)の大和時代に、中国・呉の高僧がもたらしたという説があります。
日本の文献に「梅」という文字が最初に現れるのは、日本最初の漢詩集といわれる『懐風藻(かいふうそう)』(751年)におさめられている、葛野王(かどののおおきみ)の「春日翫鶯梅」と題する五言詩です。
万葉集でも桜の歌はあまり見られないように、桜の方が実は新しいのです。
「梅」と言えば菅原道真と結びつけられることも多いものの、実のところ道真が家紋としてを梅はもちろん「丸に梅鉢」使った確証はないようです。
道真が梅を愛した逸話は有名です。太宰府に流されたときに道真の愛した梅が飛んできたとか・・・
そんなわけで道真を祭った天満宮が梅文様を神紋として使ったのが梅、梅鉢紋の広がりのきっかけだと思います。
ちなみに、天満宮は菅原道真が好きだった梅を「神紋」にしています。
天満宮関係者、氏子などが使用し天満宮を信仰した武将などが家臣達にも使わせたり(美濃斎藤氏など)したそうです。
「梅」を家紋にしている武将では前田利家が有名ですが、前田家の家紋は「剣梅鉢紋」または「加賀梅鉢紋」と呼ばれています。
前田氏は金沢前田氏(加賀梅鉢)、大聖寺前田氏(大聖寺梅鉢)、富山前田氏(丁子梅鉢)、七日前田氏(梅鉢)が有ります。
大聖寺梅鉢は前田利家と同じ前田氏の家紋です。
この「梅鉢紋」は天神信仰に由来するもので、道真の子孫を名乗る家々もこの「梅鉢紋」を使用しています。前田家は先祖を道真につなげ、この「梅鉢」に「剣」をあしらった紋を家紋としています。また総理大臣の池田隼人の家紋も「丸に梅の花紋」です。
よく似てる紋に梅鉢紋があり、こちらは全国の様々な家で使われています。