メアリー・マローンとは「腸チフスのメアリー(チフスのメリー)」で知られる女性。
世界で初めて臨床報告されたチフス菌の健康保菌者、メアリー・マローンがアンビリバボーで紹介されました。
■アンビリバボー放送内容
1907年、ニューヨーク市民は“チフス菌”によって引き起こされる感染症「腸チフス」によって恐怖のどん底にいた。発症すると高熱や咳下痢などを併発、重症化すると死に至る。そんな中、衝撃の事実が判明する。メアリーという一人の賄い婦を雇っていた7つの家族から、合計22人もの腸チフス患者が発生し、死者も出ていた。メアリーからチフス菌が検出されたが、彼女自身は健康そのもの、いわゆる“無症状の感染者”だった。この事実を新聞各紙は一斉に報道。市民はメアリーの存在に恐怖を感じ「チフスのメアリー」と強烈な見出しがついた。アメリカを恐怖のどん底に陥れ「アメリカで最も危険な女」として孤島に23年間も隔離された、メアリーの壮絶な人生とは?
メアリー・マローン死因は?チフスのメアリーでアンビリバボー
メアリー マロンは 1869 年にアイルランドで生まれ、1884 年に米国に移住しました。
メアリー マロンは、料理人としての仕事に落ち着く前に、1900 年から 1907 年にかけて、彼女は 7 つの家族の家で家政婦として従事。
マンハッタンにあるチャールズ・ヘンリー・ウォーレンという資産家の家もそのうちの一つ。
その時には家にいた11人のうち6人が腸チフスに苦しんでいたことが確認されています。
チフスについて調査していた衛生士は当初、貝を感染源と考えていたようですが、メアリーが雇われた家庭のほとんどで、彼女がやってきた直後に腸チフスが発生しているという事実を突き止めます。
この結果から、ソーパーはメアリーがチフス菌の保菌者ではないかと疑い、メアリー・マローンに尿と糞便のサンプル提出するように協力を依頼するも断固拒否されます。
そこでニューヨーク市衛生局と協力し、さらにの警官が共に赴いてメアリー・マローンを半強制的に拘束すると彼女の便からチフス菌が検出されたのでした。
メアリーはそれまで腸チフスを発症したことがなく、彼女自身が病気になったり、保菌者であるという自覚のないまま、周囲の人に感染を広げる健康保菌者(無症候性キャリア)という世界で初めて臨床報告された事例となりました。
チフス菌の健康な保菌者として、不名誉ながら「腸チフス メアリー」というあだ名は病気の蔓延の代名詞となりました。
しかしこの検査結果を突きつけられてもメアリーは納得しなかった。彼女はそれなりに教養を身に付けてはいたが、「健康保菌者が存在する」という考えは当時の社会一般から見ればあまりにも突飛なものであったため彼女には受け入れられず、むしろ「いわれのない不当な扱いを受けている」という思いを募らせるばかりであった。何よりも彼女が頑なな考え方の持ち主であったことがその最大の理由であったとされるが、不衛生なスラム街に住むアイルランド系などの移民を疫病の原因と考えていた差別への反発もあった。
特にマロン自身は症状を示さなかったため、保菌者であることの意味を理解していなかった可能性があります。医師によると、唯一の治療法は胆嚢を切除することでしたが、彼女はそれを拒否しました。
メアリー マロンは、合計 26 年間、ノース ブラザー島で 2 回にわたって隔離を余儀なくされ、最後は友人のいない孤独な死を迎えることになります。
メアリーはただ黙って隔離されていたわけではなく、サンプルを別の医師に送って独自に検査を行い、チフス菌が検出されなかったという報告を受けたことで、さらに自分が不当な扱いを受けているという確信を強め、隔離から2年が経過した1909年に、市衛生局を相手に隔離の中止を求めて訴訟を起こした。この訴訟の間も、メアリーは隔離されたままであり、病室のガラス越しに新聞記者の取材を受けた。これが世間の注目を集め“Typhoid Mary”の名を広めるきっかけになったと言われています。
(1)食品を扱う職業には就かないこと、(2)定期的にその居住地を明らかにすること、という2つの条件を飲むことで、メアリーは隔離病棟から出ることを許されますが、釈放から5年後の1915年。
ニューヨークの産婦人科病院で25 人が病気になり、2 人が死亡したとき、行方不明となっていたメアリー・マローンはなんと偽名を使ってその病院で調理人として働いていました。
この事件をきっかけに、彼女は再びノース・ブラザー島の病院に隔離され、脳卒中で亡くなるまでの23年間そこから出ることはありませんでした。
ブロンクスのセント ルークスで行われた彼女の葬式には出席したのは9人だけだったそうです。
彼女は毎日、医学的検査の準備のために研究室で読書と作業を行っていたそうです。
ノース ブラザー島は、ブロンクス近くのイースト川にある無人島です。
19 世紀後半に、天然痘の患者を収容するために建設され、最終的には検疫可能な病気に苦しんでいる人を隔離する施設として利用されていました。
メアリー・マローンによる2回のアウトブレイクで少なくとも51人がマロンから腸チフスに感染し、3人が死亡しています。