「くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」で用いられている技法は?
正岡子規の短歌ですが、情景、季節、作者の置かれている状況、作者の心情など観賞文は?
くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる|観賞文
「くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」の短歌では、まず最初に「くれないゐ」という表現が鮮やかな赤の色を連想させます。この言葉はただの「赤」と違って、とても鮮やかな赤を表しているんです。そして、「二尺伸びたる」という部分から、バラの茎が60センチくらいに伸びていることがわかります。また、「バラの芽」と書かれていて、花ではなく芽ということから、つぼみの状態で、しかも鮮やかな赤に色づいていることが伺えます。
「針やはらかに」という表現からは、本来バラの針は固くて鋭いものですが、それがやわらかく感じられるような若いバラのつぼみであることがわかります。そして、「春雨」は静かに降る雨を意味するので、やわらかな針を持つ若いバラの上に、やさしく小ぶりな雨が降っている情景が思い浮かびます。
作者の心情を考えると、この短歌を詠んだ正岡子規は、病気で病床に寝ている時に、窓の外で見た風景を詠んでいる可能性があります。病気のために普段は気づかない細かいところに目が行き、初めて見ることに感動したのかもしれません。この静かで美しい風景を詠むことで、作者の心情や感動が表現されているのかもしれません。
くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる|技法は?
この短歌に使われている技法は、「隠喩法」と「掛詞(のようなもの)」です。
ちなみに訳は「鮮やかな赤色の、60cmほど伸びているバラの新芽のとげがまだやわらかいところへ、やわらかな(穏やかな)春雨が降っている」となります。
◆まず、薔薇の新芽のトゲを針に見立てるのは「隠喩法」です。
・比喩であることを明示する=直喩法
→「~のような」「~のごとく」といった言葉を使う
例)花のように美しい顔
・比喩であることを明示しない=隠喩法
→特定の言葉は使わない。
例)花の顔(はなのかんばせ)
◆次に、「やわらかに」の部分が「針」と「春雨」の両方を修飾しています。
先生によっては、「掛詞」とまでは言い切れないという方もいらっしゃると思いますので、とりあえず発表では、「針」と「春雨」の両方を修飾していることにだけ触れればよいかと思います。
まとめ:くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる|観賞文・技法は?
正岡子規の短歌「くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」の作者の心情は、
病床で過ごす中で、自然の美しさに気づき、感動した
若々しい芽の成長と、春雨のやさしさに、生命の力を感じた
というように考えられます。
子規は、病気の療養のために、多くの時間を病床で過ごしていました。そんな中で、庭の薔薇の芽が、美しく成長していることに気づきます。そして、その芽に、春雨がやさしく降り注いでいる様子を見て、感動を覚えます。
「くれないの」という鮮やかな色彩や、「二尺伸びたる」という成長ぶりは、芽の美しさを強調しています。また、「針やはらかに」という表現は、春雨によって、本来は鋭い針も、柔らかく包まれているような、やさしい雰囲気を表現しています。
これらの表現から、子規が、芽の成長と、春雨のやさしさに、生命の力を感じていたことがうかがえます。
もちろん、これはあくまでも作者の心情を想像したものです。実際の心情は、作者本人にしかわかりません。しかし、この短歌から、作者が、病床で過ごす中で、自然の美しさに気づき、感動したことは、十分に想像できます。