増子輝彦さんは1983年の福島県議会議員で当選して政治家デビューを果たすと、その後や参議院議員・衆議院議員を歴任。
国会議員の当選回数は延べ6回を誇る増子輝彦さんのこれまでの経歴を見ると、選挙のたびに(?)所属政党を鞍替えしているようですね。
増子輝彦の経歴
増子輝彦さんは大学在4年生だった1969年から石原幹市郎参議院議員の下で秘書として働いたのち、 1983年から福島県議会議員を務めています。
増子輝彦さんのこれまでの当選歴や役職と所属政党を見ていくと次のような感じになります。
増子輝彦さんの経歴では民主党に在籍していた期間が長いものの、政治家としてのキャリアをスタートさせたのが自民党であり、最終的には古巣に戻ってきたといった感じでしょうか。
年 | 経歴 | 所属政党 |
1983年 | 福島県議会議員 | 自民党(その後、離党して無所所属) |
1986年 | 第38回衆議院議員総選挙(旧福島1区)落選 | 無所属 |
1990年 | 第39回衆議院議員総選挙(旧福島1区)当選 | 無所属(選挙後、自民党に追加公認) |
1993年 | 自民党青年局長 | 自民党 |
1994年 | 自民党を再び離党。新党みらいの結党に参加した後、新進党に合流 | 新進党 |
1996年 | 第41回衆議院議員総選挙(福島2区)楽天 | 新進党 |
1998年 | 国民の声、民政党を経て民主党に入党し民主党福島県第2区総支部長 | 民主党 |
2000年 | 第42回衆議院議員総選挙(福島2区)落選 | 民主党 |
2003年 | 第43回衆議院議員総選挙(比例東北ブロック)当選 | 民主党 |
2005年 | 第44回衆議院議員総選挙(福島2区)落選 | 民主党 |
2007年4月 | 参議院福島県選挙区補欠選挙 当選 | 民主党(国民新党推薦) |
2009年9月 | 経済産業副大臣(鳩山内閣) | 民主党 |
2010年6月 | 経済産業副大臣(菅内閣)(再任) | 民主党 |
2011年9月 | 参議院東日本大震災復興特別委員長 | 民主党 |
2012年10月 | 参議院経済産業委員長 | 民主党 |
2012年12月 | 民主党副代表 | 民主党 |
2016年3月 | 民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加 | 民進党 |
2016年7月 | 第24回参議院議員通常選挙 当選 | 民進党 |
2016年8月 | 参議院国土交通委員長 | 民進党 |
2017年11月 | 民進党幹事長 | 民進党 |
2018年5月 | 民進党と希望の党が合流して結成された国民民主党に参加 | 国民民主党(幹事長代行に就任) |
2019年9月 | 国民民主党が立憲民主党と合流した新「国民民主党」離脱 | 無所属 |
2020年10月 | 自民党会派入り | 自民党 |
所属政党の変遷だけをまとめると増子輝彦さんの経歴は次のようになります。
自由民主党→無所属→自由民主党→新党みらい→新進党→国民の声→民政党→民主党→民進党→旧国民民主党→無所属→無所属(自民会派)
増子輝彦wikiプロフィール
氏名:増子輝彦(ましこ てるひこ)
出身地:福島県
生年月日:1947年10月08日
年齢:73歳
小学校:郡山市立赤木小学校
中学校:郡山市立第二中学校
出身高校:福島県立安積高等学校
最終学歴:年早稲田大学商学部
当選回数:衆議院 3回/参議院 3回
中学から本格的に野球を始め高校生まで続けるものの甲子園出場はできず県大会予選で敗退をしています。
大学卒業後は、石原幹市郎参議院議員の秘書を務めたものの、すぐには政治の道に入ったわけではなくいったんはアメリカ留学を経て家業を継いでいます。
父親が創業した水産加工業会社の家業で、専務として10年ほど勤めた後の1983年に福島県議会議員選挙に立候補し政治の道を歩んでいます。
■職歴
自由民主党青年局長
経済産業副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)
参議院東日本大震災復興特別委員長
裁判官弾劾裁判所裁判長
参議院経済産業委員長
民主党副代表
民主党福島県連代表
参議院国土交通委員長
民進党幹事長(第4代)
国民民主党幹事長代行
ユナイテッド・パワー株式会社監査役
「日本あんこ党」党首
増子輝彦の学歴
増子輝彦さんは地元の福島県立安積高等学校を卒業後、早稲田大学商学部に入学しています。
大学在学中はスキー同好会WSSに所属し、冬季オリンピックが開催されたアメリカのスコーバレーでも合宿を行っています。
他にも1年間のアメリカ留学では、フロリダ・デトロイドビーチにて高校・大学のサマースクールで学びながら、当時40歳だったケネディ大統領が立候補していたアメリカ大統領選挙も視察しています。