増嶋竜也さんは市立船橋高校時代に早くも頭角を表すと、FC東京や柏レイソルなどを渡り歩いてきたプロサッカー選手。
引退後は「Reback」というトライアウトも企画したことで知られる増嶋竜也さんの気になる現在までのプロフィールをまとめています。
増嶋竜也のやらかし
増嶋竜也さんは、過去の「やらかし」が現在もネタになっているようです。
柏レイソルに所属していた現役時代、増嶋竜也さんはどうやらアダルトサイトの動画を自身のFacebook上で共有、いわゆる誤爆をしたことがあるようです。
1日、Jリーグ柏レイソルの増嶋竜也選手がアダルトサイトの動画を自身のFacebook上で共有してしまい、ネット掲示板で話題になっている。4月30日時点で増嶋竜也選手がアダルト動画に「いいね」ボタンを押したという記録が増嶋選手とつながっている人々に共有されてしまったが、その動画の内容がきわめてマニアックなものであったため、増嶋の性的嗜好について様々な憶測を呼ぶこととなった。最近は、動画を再生するだけで「いいね」
https://news.livedoor.com/topics/detail/6520582/
増嶋竜也wikiプロフィール
名前:増嶋竜也(ますしま たつや)
生年月日:1985年4月22日
年齢:36歳
出身地:千葉県千葉市
身長:179cm
体重:76kg
小学校:千葉市立生浜西小学校
中学校:千葉市立生浜中学校
出身高校:船橋市立船橋高等学校 体育科
職業:YouTuber、元プロサッカー選手
事務所;セント・フォースとマネジメント
ポジション:ディフェンダー(DF)
増嶋竜也さんは小学校2年生に2歳年上の兄の影響でサッカーを始めています。
それまでは野球をしていたそうですが、兄が「俺はサッカーをやる」と地元の生浜FCに入団したのを機に、増嶋竜也さんも野球からサッカーに転向しています。
増嶋竜也さんはプレーしていた生浜FCは、プロ入りするような選手を育てるような「勝つサッカー」ではなく「サッカーの楽しさ」を子供たちに伝えるスタンスのクラブ。
運動能力の高かった増嶋竜也さんは、瞬く間にチームのエース格となりますが、小学6年時に受けたジェフ千葉ジュニアユースのセレクションは1次テストで敢え無く不合格
地元の生浜中学へ進学しサッカー部に所属をするものの、お世辞にも強いチームではなく大会は1回戦負けが当たり前といったレベル。
文化祭で練習が休みになったり、サッカー部なのにテニスをするというどちらかというと非常に緩い部活だったそうですが、
増嶋竜也さん個人では小学生時代から中学を通じ、関東選抜、千葉市トレセン、県選抜からは常に声が掛かっていました。
2001年にサッカーの名門校である市立船橋高等学校に進学していますが、セレクションには不合格だったことから一般受験を受けてサッカー部に入部しています。
増嶋竜也の市立船橋高校時代がすごい!
増嶋竜也さんは市立船橋高校時代、Jリーグ・ジュビロ磐田や海外のVVVフェンロー(オランダ)などで活躍したカレン・ロバートが同年代にいました。
ただ、増嶋竜也さんとは違い柏レイソルのジュニアユースからセレクションに合格をして市立船橋高校に進学をしていたため、カレン・ロバートは入学して間もなくAチームに所属し試合にも出場していました。
増嶋竜也さんはBチームからのスタートで、Aチームのレギュラーまではかなり遠い位置にいたものの、布啓一郎監督(現JFA技術委員)の目に留まったことで、転機が訪れます。
1年生の夏・2001年7月にBチームのFWとして身体能力の高さを見せていた増嶋竜也さんは監督の指示で「DFをやってみろ」とコンバートされると、その才能を一気に開花させることになります。
読みの鋭さを生かすクレバーなカバーリング、1対1の対応など市立船橋高校伝統の堅守イチフナを体現
優れた統率力に加え、身体を張って、泥臭くぶつかりながらゴールを守り抜くスマートな外見からは想像しがたいファイタータイプのディフェンダーへと急成長。
1年生ながらも右サイドバックとして起用されると、インターハイ決勝ではただ1人の1年生レギュラーとしてスタメン出場すると長谷部誠(現ヴォルフスブルグ)率いる藤枝東を3-0で下し、大会を通じて1年生で唯一の優秀選手に選出されました。
続く2年生のときには1学年上の大久保裕樹がU-19日本代表に呼ばれ、長期に渡ってチームを離れることになったため、増嶋竜也さんは一時的にセンターバックとして起用されます。
穴埋め的な措置ではあったものの、増嶋竜也さんは持ち前の身体能力の高さと、空中戦の強さ、そして何より1対1で負けない守備を見せつけ、瞬く間に市立船橋高校の堅守を支えるストッパーという確固たる地位を確立。
それまでセンターバックを務めていた大久保裕樹がU-19日本代表から戻ってきてもポジションは変わらず、大久保裕樹の方が逆に右サイドバックへと転校を余儀なくされるほどでした。
全国高校選手権の決勝・国見高校との対戦では平成の怪物と称された平山相太(のち筑波大、FC東京)を徹底的にマークし、3大会ぶりの王座奪回に貢献した。
高校3年生のときには高円宮杯で優勝を飾り、高校3年間で3大タイトルを獲得し、高校No.1DFとして注目を集めました。
冬の天皇杯では3回戦に進出し、その時のJ1リーグで優勝した横浜F・マリノスを相手に互角以上の闘いを演じると、高校卒業時には数多くのチームから獲得オファーが届くことになりました。
増嶋竜也の経歴
増嶋竜也選手は、2004年にFC東京でプロキャリアをスタートさせます。
2004年3月13日のJ1・1st第1節、アルビレックス新潟との対戦でJリーグ初出場を果たすと、
2006年4月1日のJ1 第6節、横浜F・マリノスとの対戦でJリーグ初得点を記録します。
ただその後は出場機会が思うように得られなくなってきたことから、2007年にヴァンフォーレ甲府に移籍。
2008年から2010年までは京都サンガF.C.でプレーし、2011年からは柏レイソルへ完全移籍します。
2017年にベガルタ仙台へ期限付き移籍すると、2018年からは地元のジェフユナイテッド市原・千葉へ加入し、2020年シーズンで引退しています。
Jリーグ通算337試合19得点で、千葉ではリーグ戦通算72試合に出場。
引退試合となったJ2リーグ最終節ギラヴァンツ北九州戦(2-1)では、ともに元日本代表FW佐藤寿人もラストマッチとなりました。
日本代表の方は2004年にU-19日本代表に招集されるとAFCユース選手権で主将を務め、3バックの中央に入り守備を統率。
また当時のU-20代表監督・大熊清氏からの信頼は厚く、翌年のワールドユースでも代表主将を務め、全試合に出場しています。
ただ増嶋竜也さんはその後、代表に呼ばれることがないまま現役を引退しています。
ちなみに増嶋竜也さんは現役時代からセカンドキャリアの構想を練っていて、柏レイソル時代の2016年には千葉県千葉市緑区古市場町に「Spot light」という飲食店をオープンしています。
昼はカフェ、夜はお好み焼きというスタイルのようで他にも「Spot light蘇我店」が千葉市中央区今井にあります。
現役引退後も、増嶋竜也選手は一息つくことなくすぐにクラウドファンディングで「#Reback -もう一度Jの舞台へ- /増嶋竜也と未所属Jリーガーたちの挑戦/」を企画。
チーム未所属の選手たちが新しいチームとの契約を目指すことを支援するために、トレーニングできる環境やトライアウトのチャンスを提供しています。
主な参加選手は、
MF兵藤慎剛(ベガルタ仙台)
MF内藤洋平(ギラヴァンツ北九州)
DF阪田章裕(福島ユナイテッドFC)
DF宮崎智彦(ジュビロ磐田)
DF松本光平(オークランドシティ)
などがいました。
増嶋竜也のツイッターやインスタグラム
増嶋竜也のツイッター
増嶋竜也のインスタグラム
@masushima_tatsuya
増嶋竜也のフェイスブック
増嶋竜也の身長・体重は?
増嶋竜也さんの身長体重は次のとおりです。
身長:179cm
体重:76kg
ただ、この数字は現役時代のものなので、現在は筋肉量が減る分、体重はもう少し軽いのかもしれません。