松島やああ松島や松島やの意味・場所はどこ?何県?誰の句?松尾芭蕉?田原坊?

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「松島やああ松島や松島や」という俳句の作者は誰?松尾芭蕉?田原坊?

「松島やああ松島や松島や」にはどんな意味があるんでしょうか?場所は今のどこ・何県?

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松島やああ松島や松島やの意味

「松島やああ松島や松島や」の意味をあえて解釈するならば、あまりの絶景に言葉を失い、思わず「松島や、松島やああ…」とつぶやいてしまったといった具合でしょう。

背景としてはその優雅な美しさに圧倒され、俳句を考える余裕もなかったのでしょう。

松島やああ松島や松島や|場所はどこ?何県?

「松島やああ松島や松島や」の場所は何県のどこかというと、宮城県にある日本三景の一つ「松島」です。

松島(まつしま)とは、宮城県の松島湾内外にある大小260余りの諸島のこと(特定の一つの島を指しているわけではない)。または、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のこと。日本三景の1つに数えられている。松島湾内には、遊覧船が就航しており、船上より島々を眺めることができる。

松島やああ松島や松島や|誰の句?松尾芭蕉?田原坊?

「松島や ああ松島や 松島や」の句が広く知られ、これが芭蕉作と言われることがあるが、実際は、江戸時代後期に相模国(神奈川県)の狂歌師・田原坊が作ったもの。

仙台藩の儒者・桜田欽齊著「松島図誌(いわば観光ガイドブック)」に載った田原坊のキャッチフレーズ的な句「松嶋やさてまつしまや松嶋や」の「さて」が「ああ」に変化し、今に伝えられている。

まとめ:松島やああ松島や松島や

松尾芭蕉は、「おくのほそ道」の中で松島の句を示していない。

その訳を、伊賀蕉門・服部土芳の「三冊子」に見られる「師のいはく、『絶景にむかふ時は、うばはれて不叶』」をもとに考えれば、松島では、「扶桑第一の好風」をまのあたりにし、感動の余り思うように句が作れなかったということになるのだろうが、その一方で、中国の文人的姿勢「景にあうては唖す(絶景の前では黙して語らず)」に感化され、意識的に句を示さなかったとする見方もある。

師のいはく、「絶景にむかふ時は、うばはれて不叶。ものを見て、取所(とるところ)を心に留て不消。書写して静に句すべし。うばはれぬ心得もある事也。其おもふ処しきりにして、猶かなはざる時ハ書うつす也。あぐむべからず」となり。師、まつ嶋に句なし。大切の事也。(「三冊子」わすれみづ)。

ただし、「おくのほそ道」に記すことはなかったが、芭蕉の句に「島々や千々に砕きて夏の海」という松島を詠んだものがあり、本句は、「蕉翁全伝附録」に、「松島は好風扶桑第一の景とかや。古今の人の風情、この島にのみおもひよせて、心を尽し、たくみをめぐらす。をよそ海のよも三里計にて、さまざまの島々、奇曲天工の妙を刻なせるがごとく、おのおの松生茂りて、うるはしさ花やかさ、いはむかたなし。」の前書付きで所収されている。

松尾芭蕉が松島を詠んだ句は他、わずかに以下の2句が伝わっているだけです。

朝よさを誰松島の片心(三冊子)
松島や夏を衣装に月と水(存疑 つまり、芭蕉真作かどうか疑いがあるもの)

松尾芭蕉の「おくの細道」に関しては、ミステリーめいた面もあり、当時芭蕉は45歳のときに東北・北陸に旅たった(その行程距離2400キロ)・当時平均寿命は50歳といわれていた頃の話で、いわば超人的スケジュールであったことから、芭蕉は忍者説が浮上し、この「おくの細道」も実際のところ、油断ならざる武将伊達政宗の仙台藩の国内を探る目的であったのではないかの説もあった。その中で、言い伝えられてるもので「松島や ああ松島や 松島や」とあまりの絶景に名句さえ浮かんでこなかったと・・その実、瑞巌寺など軍事の要衝であり、芭蕉は調べたのではないかと(隠密行動)で、紀行文には仙台・松島の件は出てこないが、仙台藩の国内視察報告などは、幕府に届けられていたというものであった。

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