南こうせつさんは長い音楽活動の中で数々のヒット曲を生み出し、その才能と表現力で多くの人々を魅了してきたシンガーソングライター。
南こうせつさんは地元の大分にUターン移住していますが自宅の住所は?
南こうせつの自宅の住所は?
南こうせつさんは現在、国東半島にある大分県杵築市に在住。
南こうせつさんが作曲した「おかえりの唄」はJR杵築駅の到着メロディーになっています。
別府湾と四国の海が一望できる土地約3000坪(土地の購入価格は1坪約1万円)もあり、2009年頃まで水道が来ていなかったため井戸を3本掘ったそうです。
NHKのバラエティ番組「鶴瓶の家族に乾杯」のロケが、在住の杵築市で行われた際には、地元住民の1人として出演したことがあります。
敷地内には400坪とも言われる畑があるそうです。
ただ大分県杵築市に自宅を移住する前、東京・南青山(高級マンション)で暮らし20代半ばから7年間は山梨県の富士山の二合目にある夏の別荘として設計された家ですごしています。
夏は家族全員全裸で庭でお茶を飲んでいたそうですが冬は零下20℃以下にもなり、冬の寒さに耐えきれず地元大分県に移り住みました。
南こうせつは自宅だけじゃない!実家もすごい
ちなみに、4人兄弟の末っ子として誕生した南こうせつさんの実家は鎌倉時代から続く曹洞宗の禅寺・勝光寺。
大友家初代の大友能直(よしなお)が建久7年(1196年)、鎌倉時代に建立したと伝えられるとのこと
父親が住職で長兄・慧昭(えしょう)さんが跡を継いだそうです。
次兄は46歳で他界(=90年)
長男は鹿児島大学を卒業後キューピー会社に勤務し退職後、2003年にお寺を継ぐために大分に帰郷。
学生時代にはグリークラブ(男声合唱団)に入っていた経験から出前歌説法なるものを行っています。
南こうせつ基本情報
南こうせつ(みなみ こうせつ、本名:南高節、1949年〈昭和24年〉2月13日 – )は、日本のフォークシンガーであり、元かぐや姫のリーダーとして知られています。ベリーファームに所属しています。
南こうせつは大分県大分市竹中(旧:大分郡竹中村)出身で、大分県立大分舞鶴高等学校を卒業し、明治学院大学社会学部を中退しました。彼の妻はエッセイストの南いくよ(南育代)です。
かぐや姫時代には「神田川」、「赤ちょうちん」、「妹」といったヒット曲を生み出しました。解散後のソロ活動でも「夢一夜」や「夏の少女」といったヒット曲を生み出しました。現在は大分県杵築市に在住しています。
南こうせつは三人兄弟の三男として生まれ、実家は曹洞宗勝光寺です。長兄・慧昭(えしょう)が住職を務めていましたが、次兄・光洋が亡くなった後、慧昭が跡を継ぎました。南こうせつの出身地である竹中の地名は、彼が作詞したかぐや姫の楽曲「ひとりきり」の歌詞にも登場します。
1970年4月にはソロデビューし、「最後の世界 / むなしいうた」をリリースしました。同年10月には「南高節とかぐや姫」として大島三平らと「酔いどれかぐや姫」をリリースしました。彼の知名度を上げるため、所属事務所の指示で全日本歌謡選手権に出場しましたが、竹中労審査員に「フォークをやるならこの番組に出るべきでない」と言われ、落選しました。その後、山田パンダと伊勢正三とともに新生かぐや姫を結成し、かぐや姫解散後にソロ活動を開始しました。
1976年3月、南こうせつは日本武道館で初めてのワンマン公演を開催しました。これは日本人ソロ・シンガーソングライターとしては初めての試みを成功を収めました。同年5月には追加公演も行われ、多くの人々を魅了しました。
1980年代には毎年九州を中心に開催される野外コンサート「サマー・ピクニック」を主催し、大勢の観客を魅了しました。
1983年6月には、フジテレビ系列の「ミュージックフェア」でジョン・デンバーとデュエットし、「故郷へかえりたい」を歌いました。この出会いをきっかけに2人の交流が深まり、翌年には琵琶湖で行われた「世界湖沼会議」の前夜祭でジョンと共にライブを行いました。また、1990年にはジョンとのデュエット作品『岩を砕く花のように』を発売しました。
1993年12月、福岡ドームと東京ドームで行われた「Event of a lifetime Tour」というサイモン&ガーファンクルの来日コンサートの東京公演で、南こうせつは前座を務めました。彼は舞台上で自身も尊敬するサイモン&ガーファンクルに対して、「サイモン&ガーファンクルの前座で緊張してんだぞ」と発言しました。
2009年9月には、南こうせつの還暦記念として、つま恋でサマー・ピクニック・コンサートが開催され、約2万人の観客が集まりました。
また、2010年6月13日に放送されたテレビ番組『ザ☆スター』では、南こうせつの自宅の広大な土地で樹木を植え、それらと会話する様子が紹介されました。彼は仕事を終えて帰宅すると必ず樹木たちと話すといいます。さらに、家庭菜園にも熱心に取り組んでいることが紹介されました。この番組では、南の歌声を日本音響研究所で分析した結果、通常人には聞こえない超音波まで声が届いており、風鈴や梵鐘の音に似たゆらぎがあり、聴く人に癒しをもたらすことが示されました。
さらに、2014年1月1日に発売された「3B junior」の代表曲である「七色のスターダスト」の作曲も手掛けました。この曲は、ももいろクローバーZ、私立恵比寿中学、チームしゃちほこ、たこやきレインボーといったグループを象徴する歌となりました。
南こうせつは長い音楽活動の中で数々のヒット曲を生み出し、その才能と表現力で多くの人々を魅了してきました。彼の独自の歌声と心に響く歌詞は、聴く人々に感動と癒しを与えると評されています。
今後も南こうせつは音楽活動を続けながら、地元の大分県を拠点に精力的に活動しています。彼の豊かな音楽世界と人間性は、多くの人々にとってのインスピレーションとなり続けています。