ミツウロコというガス会社の会社の社章と、北条氏の家紋の関係は?
北条氏は、鎌倉時代の「北条氏」と戦国時代の「後北条氏」に区別されますが家紋は同じ「ミツウロコ」(微妙に形が異なる)ですが、ガス会社のミツウロコとは何か関係があるのでしょうか?
ミツウロコ|北条の家紋とガス会社の関係は?
結論から言うと、ミツウロコというガス会社の会社の社章と、北条氏の家紋には関係はありません。
ミツウロコはもともと1886年(明治19年)にカネイチ運送店として開業(創業)した会社で主に鮮魚を取扱っていたそうです。
その会社設立に3社の運送店が関わっているため、3社の「3」と魚を扱うから「鱗」をとってミツウロコになったそうです。
明治25年(1892)春に不振の三鱗運送店(三運送店の魚類取扱部門、神田佐久間町)の経営を引き受け三鱗社と改称
その後、石炭を取り扱う会社を設立してエネルギー事業会社として変革を果たしていきます。
なお、二等辺三角形の『三鱗』を『北条鱗』といい、北条氏の紋章となります。
そして正三角形の方は単に『三鱗(みつうろこ)』といい、『北条鱗』とは区別します。
この『三鱗』の紋様は能楽などの鬼女の衣裳などに用いり、『霊力が強い』ところからきていています。
北条鱗同様に桓武平氏維将流の北条氏も使用していますが、同流の江島氏や平氏良文流の大木氏、源氏為義流の宮川氏、源氏頼光流の福島氏、藤原氏秀郷流の中村氏など多くの家が使用しています。
従って北条氏とは縁が有るかは分かりません。
ミツウロコ|北条の家紋の由来
ミツウロコの家紋は、北条政子の父である北条時政が有名であることから、北条氏の象徴とされてきました。しかし、ミツウロコの家紋は北条氏の末裔としての意味合いではなく、鎌倉幕府が滅亡した後も権威付けのために様々な武将が使用するようになったものです。
北条氏に限らず、戦国時代の武将の中にも正三角形の家紋を使用した人物が多く存在しました。たとえば、北条早雲などがその一例ですが、彼の家紋は正三角形ではありませんでした。
また、元々家紋を持っていなかった農民なども、明治以降は自由に家紋を選ぶことができるようになりました。これにより、日本の大多数を占める人々も家紋を持つことができるようになりました。
家紋にはロマンがあります。着物の家紋についても考えてみると良いでしょう。着物に入れる紋は、所有者を示すことから、嫁入り道具の着物は実家の紋、嫁いだ後に作る着物はご主人の家の紋が一般的でした。
ミツウロコまとめ|北条の家紋とガス会社の関係は?
ミツウロコの創業は明治19年。 当初は運送業を営んでおり「カネイチ運送店」という名前。三鱗(ミツウロコ)の名称を使い始めたのは明治25年。
3つの魚を運ぶ会社が合併したために、ミツウロコという名前にした。と言われてます。
正三角形の方の三つ鱗は、鎌倉幕府の方の北条氏です
戦国時代の小田原北条氏は、横長の三つ鱗です。
なお、北条氏の家紋は三つ鱗だけど、家紋が三つ鱗だからといって北条氏の子孫とは限りません。
家紋は豪族や公家などの勢力者が平安朝に使い出し、庶民が真似て力を誇示しだしたのは江戸時代からです。
家紋なんて好きなデザインを選べるため、江戸時代以前に家紋のやり取りなんかもやっていたそうです。