映画「劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』」の最後について。
最後のシーンでキラとラクスはなぜ裸になってキスをしたんでしょうか?
パイロットスーツ脱ぐ必要あった?
ガンダムSEED FREEDOM(映画)最後|キラとラクスがキス
保志総一朗『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』は「SEED愛が詰まった作品」と笑顔!石田彰は「かつての盟友も登場します」とアピール
「機動戦士ガンダムSEED」シリーズ最新作となる劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』(公開中)の公開記念舞台挨拶が1月28日、新宿ピカデリーにて開催され、キラ・ヤマト役の保志総一朗、ラクス・クライン役の田中理恵、アスラン・ザラ役の石田彰、イングリット・トラドール役の上坂すみれ、グリフィン・アルバレスト役の森崎ウィンら声優キャストと、主題歌を担当した西川貴教、福田己津央監督が登壇した。
シリーズの完全新作となる本作では、「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」のその後の物語が描かれ、戦いが続く世界でキラ、アスラン、シンたちの新たなストーリーが展開していく。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ee9dc78391ef9e5e48401b85bd3d7a6da30507d
映画「劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』」最後のシーンでキラとラクスはなぜ裸になってキスをしたのか、お互いを好き合ったのは、表面的な能力ではなく、人柄であるということを伝えたかったのかなと思います。
スーパーコーディネイターとアコードというしがらみから解放されて真に自由に愛をはぐ無めるという暗喩かと。
まず前提として、ガンダムSEEDシリーズのOPにおいて、裸は「本心をさらけ出す」というような意味合いがあって、逆に言うと、デュランダルのようにOPで脱いでないキャラは本心をさらけ出さずに終わっているという事です。デスティニーのOPで下着姿だったカガリもよく例に挙がりますが、なんだかんだ結局は本心をさらけ出さず、アスランと結ばれてるのかよく分からない感じで終わりました。
それを踏まえて、劇場版の最後のアレは、最後になって二人が本心をさらけ出したという意味合いのシーンなんでしょう。
とはいえ、冷静に考えれば狂気の沙汰なので、羞恥心を喪うほどに愛は人を盲目にするという危うさも伝えているような気がします。
ガンダムSEED FREEDOM(映画)最後あらすじ
映画「劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』」は『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』本編から2年後の世界を舞台にしています。世界ではナチュラルとコーディネイターの対立が続き、ブルーコスモスが活動を続けています。その中で、デストロイガンダムなどの新たなMSが登場し、世界は混乱の中にあります。
物語の中心には、キラ、シン、ルナマリアなどのキャラクターが登場します。彼らは世界平和監視機構コンパスの一員として、人々を救うために活動します。新たなMSとして、ライジングフリーダムガンダムにはキラ、イモータルジャスティスガンダムにはシンが乗っています。
物語は、キラとラクスの恋愛関係を中心に展開されます。キラとラクスはSEEDシリーズを象徴するカップルでありながら、その関係はあまり描かれていませんでした。この映画では、彼らの関係がより深く描かれ、キャラクターたちの成長や葛藤が描かれます。
物語の後半には、新たな敵であるブルーコスモスの指導者やファウンデーション王国の登場があります。彼らの登場により、世界中が大きな変革の中に巻き込まれます。
映画は、キャラクターたちの戦いや成長を通して、愛や正義、運命、自由といったテーマを探求します。キャラクターたちはそれぞれの愛や信念に向かって戦い、結末へと向かっていきます。
まとめ:ガンダムSEED FREEDOM(映画)最後|キラとラクスがキス
映画「劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』」の最後のシーンはOPのセルフオマージュとスーパーコーディネーターであるキラ准将とアコードという選ばれた真のコーディネーターのラクス総裁という雁字搦めにされたしがらみを脱ぎ捨て。
ただお互いを思い愛し合う2人の男女というありのままの姿を表現したものだと思われます。
まあそれは表現手法としてのメタ的な理由なので、じゃあキャラ本人的にはなんで脱いだのかというと、謎です。必要とかは別に無いと思います。表現手法としては脱がす必要があったんでしょうけども。