まひろ(紫式部)の母・ちやは(藤原為信女)はなぜ殺された?
NHK大河ドラマ「光る君へ」では藤原道兼に切られて殺されていますが史実なんでしょうか?
紫式部の母親(ちやは)が殺された理由はなぜ?大河ドラマ光る君へで藤原道兼
源氏物語の作者「紫式部」謎に包まれた家庭環境 式部の父親や母親はどんな人だったのか?
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は紫式部の家族について解説します。
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2024年度のNHK大河ドラマは「光る君へ」。主人公は、平安時代中期の女性・紫式部です。紫式部の名は、現代に至るまで読み継がれている小説『源氏物語』の作者として、多くの人が聞いたことはあるでしょう。しかし、その生涯はどのようなものだったのかというと「知らない」という方も多いのではないでしょうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a2807f555529bd0a9a8ef5eef3cdce64a507cfa
NHK大河ドラマ「光る君へ」でまひろ(紫式部)の母・ちやは(藤原為信女)はなぜ殺されたのかというと、史実では正確な没年のわかっていません。
病死かもしれないし、事故死かもしれない。あるいは殺されたかもしれないが、現存する史料では確認できません。
紫式部の母親(ちやは)が殺されたのは史実?
■脚本家・大石静のコメントより
ただ人の死を穢れとしていた時代ですから、流石に上流貴族が自ら刺し殺すなんて真似はしないでしょう。藤原道兼に切られて殺されていますが史実ではなく演出・フィクションだと思われます。
「史実ではありません。母親はまひろが小さい時に亡くなっているらしいといわれています。幼い頃に母を亡くしているのはその後の人間形成にとってとても大きいこと。それで、どうして亡くなったことにするのかを考えていた時に、道長の家の次男をちょっと乱暴な人物のキャラ設定をしていたので、結び付けることを思い付きました。そうすると、まひろにとっては愛した人の兄が親の敵になるので、悲しい宿命になると発想して書きました」
紫式部の母親|ちやは(藤原為信女)とは?
藤原為時の娘であり、紫式部の母親とされる女性についての詳細は、残念ながらほとんど分かっていません。彼女は藤原為信の娘であり、藤原為時と結婚し、藤原惟規や紫式部を産んだ人物です。しかし、彼女の生涯や性格、思い出に関する情報はほとんど伝わっていません。
彼女が結婚した時期については、為時が播磨権少掾(兵庫県南西部の国司の地位)に就任した頃とされています。この時、彼女は長女を969年に、次女を970年に、そしてその2年後には長男を産んだとされています。子供を3人も育てるというのは、現代でさえ大変なことですが、1000年以上前の時代においては、出産環境が厳しく、乳幼児の死亡率が高かったため、その育児はさらに大変だったことでしょう。
残念ながら、彼女は長男を出産した後に亡くなってしまいました。彼女が亡くなった後、為時は再婚し、他の女性との間にも子供をもうけていますが、彼女以外の妻や継母についての具体的な情報はほとんど分かっていません。
式部の日記には、彼女のことがほとんど記されていません。式部が3歳か4歳頃に母を亡くしたと推測されており、そのため、幼い頃の母親の思い出は残されていません。
式部の母親は、生前の事績がほとんど残っておらず、実名も伝わっていないため、彼女の性格や生涯について詳細な情報を知ることは難しいです。そのため、彼女に関する情報は、脚本などによる創作が含まれることがあります。
まとめ:紫式部の母親(ちやは)が殺された理由はなぜ?光る君へ
紫式部の母親(ちやは)について、詳細な資料はないみたいで一説によると紫式部の弟を出産した時に亡くなったという説もあるようです。
今後運命的に結ばれてゆく藤原道長(三郎)の兄が母の命を奪った仇役とする事でドラマがより盛り上がると脚本家の大石静氏は考えたのだそうです。
第二主人公の道長や彼の父、兄が中心となる政治の世界と、主人公の紫式部の人生をどう絡ませていくかは本作の脚本上の重要なポイントになると思います。
単純に史実をなぞるだけだと、そこの接点は基本的には紫式部が宮中に出仕してからしか生じないのですが、それだと政治パートの面白そうな話の多くは終わっているので、フィクションを入れていく必要があったのでしょう。