中村メイコさんは神津善行さんと結婚すると、
長女、神津カンナ
次女、神津はづき
長男、神津善之介
と、全員が芸能に携わる芸能一家。
中村メイコさんの気になる自宅の住所などプロフィールをまとめています。
中村メイコの自宅の住所は?
中村メイコさんは2014年、世田谷区にあった自宅を手放したそうです。中村メイコさんは30年間暮らしてきた一戸建てを引き払い、娘たちの家に近いマンションに引っ越していますが部屋の間取りは3LDKで広さが3分の1になったんだとか。
300坪の敷地で地上2階・地下1階の大豪邸で自宅の住所は成城だと言われていましたが、中村メイコさんは「人生の終いじたく」という本を著しています。
これはいわゆる「終活」というものの一環で、中村メイコさんは
「片付けを子供や孫や友人にさせるのは迷惑。自分の身体が動くうちに、自分で全部片付けるのが大人のエチケット」と言っています。
最終的にはトラック7台分もの「ゴミ」が出たそうです。その中には、彼女が映画デビューした2歳の頃からの台本やスチール、衣装なども含まれていたそうです。
■成城に自宅があるとされる有名人
所ジョージ
浜田雅功
松田聖子
木梨憲武
など。
中村メイコの結婚した旦那は神津善行
中村メイコさんは1957年に、作曲家の神津善行(こうづ・よしゆき)さんと結婚し、1男2女をもうけます。
1983年には日本製粉から揚げ粉」のCMで共演しています。
本名:神津 善行(こうづ よしゆき)
生年月日:1932年1月2日
年齢:91歳
出身地:東京府 (現在:東京都)
学歴:麻布中学校
出身大学:国立音楽高等学校国立音楽大学トランペット学部
植物発信波の採取と研究で早稲田大学理工学部特別研究員となり、理工学部で15年間講師を務めました。
作曲を信時潔さん、トランペットを中山冨士雄さんや北野博正さんに師事。映画音楽を中心に、歌謡曲や吹奏楽曲、テレビ番組のオープニング曲などの作曲を多数手がけました。映画音楽だけでも330作品を担当しました。
代表的な作品には、交響詩「月山」や小交響詩「依代」、歌謡曲「新妻に捧げる歌」「星空に両手を」などがあります。NHKの音楽番組「あなたのメロディー」では、1977年4月から1984年3月まで司会を務めました。
中村メイコwikiプロフィール
名前:中村メイコ(なかむら・めいこ)
本名:神津五月(こうづ・さつき)
出身地:東京府(現・東京都)
生年月日:1934年5月13日
年齢:86歳
身長:153cm
血液型:O型
中村メイコの経歴
中村メイコさんは、1934年に東京府で生まれました。2歳の時にPCL映画製作所(現・東宝)の映画に出演し、子役として芸能界デビューしました。
中村メイコさんは、天才子役として、エノケンやロッパ、森繁久彌ら数多くの日本を代表する喜劇俳優たちと共演しました。そのため、中村さんは、「自分はデビュー時から『女優』ではなく、『喜劇女優』だ」と述べています。
中村メイコさんは、喜劇を中心として、数多くのドラマや映画に出演しましたが、一方で歌手としての評価も高く、特に1955年の「田舎のバス」は大ヒットしました。また、CMソングの歌唱や他のアーティストへの作詞の提供など、音楽的才能も発揮しています。
中村メイコの学歴|高校や大学、中学は?
中村メイコさんの通っていた高校・中学について、学歴は「小学校卒」なんだそうです。
新宿区立市谷小学校を卒業したようですが、中村メイコさんの父親が何もかも一律の、学校教育に強い疑問を抱いていて、さらに1941年からは戦争教育となったことが影響しています。
「この大事な新鮮な脳みそを戦争はいいことだなんて教育されてたまるものか」と憤り中村メイコさんは進学どころではなかったようです。
そんな中村メイコさんの父親は、戦前にナンセンス(ユーモア)作家として活躍していた 中村正常(なかむら まさつね)さん
まとめ:中村メイコwiki現在|元・自宅(豪邸)の住所は?学歴は?
中村メイコさんは神津善行さんと結婚すると、全員が芸能に携わる芸能一家で「神津ファミリー」と呼ばれています。
長女、神津カンナ 作曲家、作家、エッセイスト、コメンテーター
次女、神津はづき 女優
長男、神津善之介 画家
姉・神津カンナさんは1958年に生まれました。
長女、神津カンナは東洋英和女学院高等部を卒業後、ニューヨークへ渡り、帰国後に「親離れするとき読む本」という本を執筆し、作家活動を始めました。作家としての活動の他にも、「ビートたけしのTVタックル」などのテレビ番組の司会や、「神津カンナのあんな話こんな話」などのラジオ番組のパーソナリティとしても活躍しており、その多才さを発揮しています。
次女、神津はづきさんはも姉の神津カンナさんと同じく東洋英和女学院を卒業後、ニューヨークへ渡り、帰国後の1983年に若手ながら演技派女優として注目され「わが家はカタログ」という作品で女優デビューしました。
それ以降、女優として映画「二十四の瞳」「死国」や火曜サスペンス、月曜ドラマスペシャルなど多くの作品に出演し、舞台やエッセイ、ラジオなどでも活躍しています。
1992年には俳優の杉本哲太さんと結婚し、現在は3人の子供の母親としても頑張っています。
長男、神津善之介さんは1992年にはスペインの画家で「光の収集家」「20世紀最後の印象派」とも称されるJ・トレンツ・リャド氏に師事しました。その後、25歳の若さで東京で初の個展を開催しました。
それ以降も、マヨルカのバルセロ財団主催の国際絵画展やマドリードの第65回サロン・デ・オトーニョ展、第14回BMW財団主催の国際絵画展などで多くの賞を受賞しました。