幼い頃、誰もが母の日に手作りのプレゼントにを贈った思い出があるんじゃないでしょうか。
幼稚園や保育園で似顔絵を描かされたかもしれませんが「肩たたき券」、「お手伝い券」、「茶碗洗い券」、「お掃除券」なんかをプレゼントした人も多いはず。
ただ、期限と回数を区切っていなかったばかりに、家庭によっては贈った母に同じ券を何度も使わるなど、親が悪用する(?)ケースも見られるようですが、
「何でも券」が10数年後に息子の元に届くというサプライズがネットで話題になりました。
「何でも券」が10数年後に息子の元に!母へのプレゼントが話題
引用:https://withnews.jp/article/f0160618004qq000000000000000W00o10401qq000013562A
高校のバスケットボール大会を前に、母から渡されたポチ袋。
開会式の前にこっそり開けると、中には、むかし自分が母の誕生日にあげた「何でも券」が入っていて、「最後までしっかり動けますように」と書かれていました。
10年以上も大事にとっておいた母が、お手伝いや肩もみといった自分のためではなく、それを渡してくれた息子のために使ったのです。
どんな思いで、このメッセージを書いたのか? 母と息子に話を聞きました。
北海道清水町で働いている井上翔太さん(18)。
昨年まで帯広大谷高校で、バスケに打ち込む日々を過ごしていました。
そんな彼が今月、ツイッターにこんな投稿をしました。
「幼稚園ぐらいでしょうか。母親の誕生日に『なんでもけん』をあげました。洗濯物干してとか茶碗洗っといてとか、パシリ系に使うのかとずっと思っていた『なんでもけん』。
でも、バスケ高体連の全道出発前に渡されました。お陰様で、歴史を変えました」
このつぶやきに対し、「いい話すぎる」「泣きそうになった」と多くの反響が寄せられ、「いいね」は4万を超えました。
この話は、今からちょうど1年ほど前にあった出来事です。
全道大会の開催地へ向かう朝、学校まで見送りに来た母の裕子さん(51)からポチ袋を手渡されました。
翔太さんは中身を尋ねることなく受け取り、バスに乗り込みました。
会場に到着し、開会式前にこっそり中を開くと、10数年前に自分があげた「なんでもけん」が入っていました。
そこに書かれていた文字は「最後までしっかり動けますように」。
息子がしっかりとプレーできるようにとの願いが込められていました。
「最初はお金でも入っているのかなと思いました。
『なんでもけん』を自分が書いたのは覚えていたけど、こんな使い方をするとは、びっくりしました」
このおかげもあってか、帯広大谷はベスト8入り。
フォワードとして出場した翔太さんは、いつもなら足がつって、そのまま退場することが多かったのですが、この大会では足がつってもプレーを続けることができたそうです。
裕子さんはどんな気持ちで、「なんでもけん」を使ったのか?
「いつか使おうと思っていたんですが、機会がなくて神棚に置いてあったんです」
翔太さんがケガ続きで最後まで走りきれず、コート内で悔しそうな表情を見せていたのを何度か見かけていた裕子さん。
最後の大会で思う存分走ってほしいという思いを込めて、「神様に届けばいいな」という思いで書いたそうです。
本人に渡すかどうか迷ったそうですが、「たぶん見ないだろう」と思って渡すことにしました。
渡された「なんでもけん」を翔太さんが大事に持っていたことも、ツイッターでそれを公開したことも、今回の取材で初めて知ったという裕子さん。
「ちゃんと届いていたんだ、大事にしてくれてたんだ、って知ることができて嬉しいです。
だって、『見たよ』とか『ありがとう』とか一言もなかったんですよ」と涙声で話します。
10数年後の「何でも券」の後日談
翔太さんは10数年ぶりに「何でも券」を使った母親に対して「ここまでバスケやってこれたのはお母さんのおかげ。『ありがとう』と感謝の気持ちを表しているものの、
それと同時に「何でも券」を渡した時の記憶も残っているらしく「『なんでもけん』は他にも数枚あると思うので、次はどんな使われ方をするのか、ちょっと心配です」とも話しています。
ちなみに、井上翔太さんが挑んだ大会はウインターカップにつながるバスケットボールの第46回全国高校選抜優勝大会北海道予選会。
井上翔太さんが所属していた帯広2位・帯広大谷高校のバスケットボールチームは1回戦で小樽明峰(小樽1位)対戦し92-51と快勝しています。
帯広大谷高校はその後、準々決勝まで勝ち上がるものの札幌工業高校「56-75」で敗退。
札幌工業高校は決勝で駒澤大学附属苫小牧高校と対戦し「71-70」と辛勝しているので、帯広大谷高校はトーナメントのめぐりあわせによっては全国大会に進出していたかもしれませんね。