西鉄バスジャック事件の犯人(ネオむぎ茶)の現在・その後は?生い立ち・家族は?

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西鉄バスジャック事件とは

2000年5月3日午後0時56分、佐賀駅バスセンターから福岡・天神行きの西日本鉄道高速バス「わかくす号」が出発した。乗客をは15~16人ほど。ゴールデンウィークということもあり、祖父母に会いに初めての1人旅をする少女、買い物に行こうとする若者、法事を終えて福岡に帰る人などがいた。

「天神には行くな。このバスを乗っ取ります」
 午後1時30分、九州自動車道大宰府インター付近に差しかかった頃、運転手の真後ろの席に座っていた少年が突然立ち上がり、落ちついた声でそう言った。手には刃渡り30cmほどの牛刀を持っており、平野忠運転手(当時56歳)に突き付け、東に向かって走りつづけるように指示した。
「言うことを聞かないと、殺します」
 少年は続いて、21人の乗客(途中で5人が乗りこんできた)の荷物を前に集めるように言い、全員を後ろの席に下がらせた。この時、真ん中の方の座席で、少年に気づかず眠り続けている女性がいた。東京在住の高取千佳さん(当時34歳)である
 少年は高取さんの方に近づいていって、「あなたはふて腐れていますねえ」と言うと、その首筋に牛刀を突き立てた。
「あなたたちが行くのは、天神ではなく地獄です」

 少年の指示は続き、荷物から携帯電話などをかき集め、カーテンの窓も閉めさせたうえ、女性客を前に、男性客を後ろにまわした。さらに座席の間の補助席を倒すようにも指示し、腕力のある男性客が少年を取り押さえようとしても、すぐには前方に来られないようにした。
 平野運転手は「1人で乗ってきた少女がいるので、この子だけでも降ろしてやって欲しい」と提案してみたが、少年はあっさり却下した。

 バスは走りつづけ、本州・山口に渡る関門橋が目前に迫った頃、少年は乗客に向かってトイレに行くことを許可した。バスを路肩に停めさせ、「逃げたりしたら、残っている乗客を全員殺します」と脅したうえで1人ずつ降ろした。
 1人目は小型犬を抱いた女性(当時40歳)だった。少年はバスの昇降口から身を乗り出し、様子を伺っていたが、女性は戻っては来なかった。
「あいつ、帰ってこない。裏切りやがった。許さない。絶対に殺してやる」
 少年は初めて興奮した様子を見せ、平野運転手にバスを発車するように命じた。
 一方、女性は高速道路沿いにある非常電話から、バスが乗っ取られたことを道路公団に通報している(午後2時47分)。道路公団は「わかくす号」がまだ福岡に着いていないことを確認、すぐさま福岡県警に通報した。連絡を受けた山口県警が緊急配備を敷いたのは3時9分のことだった。

「僕は約束は守ります。見せしめです。1人殺します」
 少年は山口由美子さん(50歳)の席に近づき、首めがけて牛刀で何度も刺した。山口さんはおびただしい血を流しながら通路に倒れこんだ。少年が足でつついて、「生きてるか?」と確認したところ、山口さんは「はい・・・」と答えた。
「連帯責任なんだから、逃げようと思うなよ。逃げるたびに刺すぞ」
 少年はそう言った。
午後3時35分、中国自動車道を走る「わかくす号」を確認した警察は追尾を開始。
 同じ頃、乗客の女性(当時30歳)が、走行中のバスの窓を開け、飛び降りた。この女性は右足骨折の重傷を負ったが、バス内ですでに2人が犯人に刺されたという情報を伝えている。
 少年は女性が窓から逃げたことにはしばらく気がついていなかった。だが、窓が開いているのを見つけると、近くに座っていた塚本達子さん(68歳)に「逃げようとしているんですが」と、首を牛刀で刺した。牛刀はネックレスに触れたことから、刃こぼれしていた。少年はそのことを気にして、全員にネックレスをはずさせた。

 3時45分、少年はなぜか携帯電話から自分で110番している。ヤマダと名乗り、「こっちには人質がいる」と忠告した。
 4時9分には、山口県警に「拳銃を用意してください」という要求をしている。
 この頃、少年は1人で乗っていた少女・Y子ちゃん(当時6歳)を近くに座らせ、盾にし始めるようになっていた。

 4時18分、NHKが初めてこの事件の第一報を報道、各メディアも続いた。この時は犯人について「高校生風の若い男」と報じられていた。
 上空には報道機関のヘリ10数機が、バスを探して追い始めた。

 バスは山口県の下松SAに近づいていたが、先ではコーンと、県警のパトカー7台が道路をふさぐかたちで停められていた。バスは一旦停まり、パトカーとにらみ合う形となったが、警察はすぐに封鎖を解除、目の前を通過された。
 4時21分、バスが走り始めた直後、後ろに座っていた男性(当時52歳)が窓から飛び降り、軽傷を負った。
 すでに3人に逃げられた少年は、すでに弱っていた塚本さんの首に再び牛刀を振り落とした。塚本さんはしばらく息が荒い状態が続いた後、それも聞こえなくなり、出血も止まった。誰もがこの女性の死を悟った。少年はさらに2人連れの女性客(ともに当時18歳)に向かって「次はあなただ。その次はあなた」と殺人予告までしている。

 5時24分、広島県の武田山トンネル内で、少年は平野運転手にバスを停めさせた。男性客4人を全員降ろしたのである。男性が降りる間は少年はずっとY子ちゃんの首に牛刀を突きつけていた。男性客の中には妻と一緒だった人もいて、妻を残して降りるのは辛いことだったが、すでに3人が殺されている(ように見えた)、下手に逆らうことはできなかった。

 この頃には、すでに容疑者を「佐賀県在住の、通院歴のある17歳」と報道するメディアもあった。警察も少年の自宅に電話し、確認している。

 5時50分頃、広島県警は「わかくす号」を山陽自動車道・奥屋PAに誘導し、バスは警察車両に取り囲まれるかたちで停車した。
 警察の交渉が始まると、少年は拳銃と防弾チョッキとスタンガンを差し入れることを要求した。交換条件で、少年は負傷していた山口さんと高取さん、そして塚本さんを解放し、防刃チョッキを受け取った。
 搬送された3人のうち、塚本さんの死亡が確認され、高取さんは首に、山口さんは顔や頭部など数ヶ所に傷があり、ともに重傷だった。

 少年と警察の間では3時間半ほど膠着状態が続いていたが、午後9時37分、バスはパトカーに先導されて再び走り始めた。
 少年によると、「東京・霞ヶ関に行きたい」らしく、燃料の補充を要求した。このためバスは給油のために、小谷SAに入った。

 10時34分、最高齢の女性客を解放。この女性客は「おねがいだから、子ども(Y子ちゃん)も一緒に出してあげて」と頼んだが、少年は聞こうとはしなかった。
 バスの外には駆けつけてきた少年の両親と担当医がいた。だが、母親の方は「説得する自信がない・・・」と泣き崩れる。代わって医師が説得するも、少年は興奮するばかりだった。

 日付が変わってまもなく、まくらと食料が差し入れられた。少年は女性客におにぎりやウーロン茶を配らせたが、それを口にしようとする人は少なかった。

 午前5時頃、特殊急襲部隊「SAT」は少年がY子ちゃんと離れた瞬間を狙い、左右の窓をわり、「フラッシュバン(閃光手投げ弾)」を投げ入れ、取り押さえた。救出の際に1人が負傷したものの、当時乗っていた人は全員無事だった。

西鉄バスジャック事件の犯人(ネオむぎ茶)の現在・その後は?

西鉄バスジャック事件の加害者少年はおそらく精神科通院歴あり責任能力等に問題ありとなった為、殺人罪は免れます。

銃刀法違反 人質強要行為処罰法違反の容疑がかけられましたが保護観察となり医療少年院に収監となりました

2006年の春に出所しているようで現在は会復帰もしていると思われますが、その後、再犯のニュースも聴かないし、更正したということになるのでしょう。

ちなみに、「ネオむぎ茶」の名前は、2ちゃんねる創設時の常連利用者でハンドルネーム「むぎ茶」を称していた人物を模倣したものである。草創期の2ちゃんねるは様々なシステム上の不備を抱えていた。むぎ茶は「スーパーハカー」( = スーパーハッカーの意味。当時の2ちゃんねる内で流行した隠語で、自称「パソコンに詳しい」人を揶揄したもの)の一人で、2ちゃんねるの弱点をみつけては荒らしを繰り返し有名コテハンとなった。

この事件あるいはハンドルネームを模倣した事件が幾つか起きている。

●2001年に2ちゃんねるで「ネオむぎ酒(※麦酒)」と名乗る人物がYOSAKOIソーラン祭りを妨害する犯罪予告を書き込み、恐喝容疑で17歳の少年が補導された。

●2002年11月に2ちゃんねるで「ネオ烏龍茶」と名乗る人物が小田急電鉄に対する爆破予告を2ちゃんねるに書き込み、威力業務妨害容疑で無職で24歳の男が逮捕され、2003年6月に東京地裁で執行猶予付きの有罪判決となった。

●2001年1月14日、京都市営バス(路線バス)でカッターナイフで乗客・運転手を脅して乗っ取るバスジャック事件が発生。大山崎町を走行している事を不審に思った対向車(マイカー)のドライバー(阪急バス社員)が通報・追跡し、茨木市内で逮捕・解決した。

●2008年7月16日、豊田市の東名高速道路上り線走行中の東名ハイウェイバス(JR東海バス運行)車内で、果物ナイフで運転手を脅して乗っ取る「愛知バスジャック事件」が発生。銃刀法違反容疑などで逮捕された容疑者は山口県在住で家出をしていた中学2年生の少年だった。同少年は母から西鉄バスジャック事件について聞いていることを供述した。

西鉄バスジャック事件の犯人(ネオむぎ茶)の動機は?

少年は中学校でいじめに遭遇、家庭内暴力で家族を悩ませた。親が学校にいじめの相談をするが、当の学校や教育委員会はいじめの事実を認めなかった。高校受験が目前に迫った1998年1月、クラスメイトたちの挑発を受けて、踊り場から飛び降りるも着地に失敗して重傷を負い入院。病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したが、入学後、校風が合わないという理由ですぐに中退してしまった。

不登校となった少年は、親にパソコンをねだり、2ちゃんねるに寝食を忘れるほど熱中、家庭内暴力がますます悪化していく。危険を感じた親が警察や精神科病院に相談するも、事件を起こさない限り対処できないと双方から断られてしまう。そこで最後の頼みの綱として、頻繁にテレビに出演して著書を出している精神科医の町沢静夫に連絡を取って相談。町沢は親にも少年にも一切面会しなかったが、親からの要請を受けて2000年3月5日、佐賀県警と国立肥前療養所に電話。肥前療養所はすぐに少年の医療保護入院を許可し、即日入院となった。

国立肥前療養所に入院が決定した時、少年は親に絶対許さないと発言していたが、実際に入院すると、医療スタッフや他の入院患者たちにも礼儀正しく、家庭内暴力で家族を悩ませていたとは思えないほどしっかりしていた。やがて、少年と親と医者と話し合いの上で、少年の外出許可が出る。病院に帰ってから、愛知県で少年が老夫婦を殺傷する豊川市主婦殺人事件を知り、少年は手記にこの少年犯を褒め称え、自分も早く彼のようになりたいと書く。この手記の内容をまったく知らなかった医者は、少年の外泊許可を出す。帰宅した少年は当初、自分がいじめを受けていた母校の中学校において無差別殺人を行う予定だったが、ゴールデンウィークで休校だったため、バスジャックを実行した。

事件後、町沢はマスコミや著書を通じて、少年や親を擁護する一方、国立肥前療養所を批判した。これを受けて、肥前療養所の記者会見では院長が、少年に一度も面会せずにテレビや雑誌で肥前療養所に対する批判を述べていた町沢に対して「こういう態度は臨床医としてあるまじき行動であり、町沢に怒り心頭に発している」と述べた(後日、町沢の態度が精神科関連の学会や家庭内暴力関連の団体から厳しく批判された)。
2000年、『論座』7月号から10月号にかけて、事件の対応について矢幡洋と論戦を繰り広げ、町沢は矢幡に論破された。


昼夜逆転の生活をしていたある日、Aは母親に「パソコンをやりたい」と言い出した。両親は「何か熱中できるものがあれば・・」と考え、すぐに買い与えている。

 Aはインターネットを始め、まもなく匿名掲示板「2ちゃんねる」に夢中になった。しばらくは普通に書きこみをしていたが、他の参加者からバカにされると攻撃的なキャラクターに変わり、罵詈雑言を繰り返して目立つようになっていった。

 2月6日、Aは自らスレッドを立ち上げた。HN(ハンドルネーム)は「キャットキラー」。しかし、他の参加者はAについて、次のような分析をしている。
名前 ゴミカス
年齢 30歳
職業 無職
学歴 高卒
資格・免許 無し
趣味 無し
特技 無し
身長 165センチ
体重 65kg
容姿(顔) 30点
友人 無し(いない歴30年)
恋人 無し(いない歴30年)
前科 無し(万引で補導歴有り)
財産 無し(親の土地約1億円分を相続する予定)
存在感 無し

中傷されたAは「母さん、ぼく、存在感ないって言われた」と報告した。

 その後、AはHNを「キャットキラー」から「ネオむぎ茶」というものに変える。以前と同じように彼の分析がされたが、Aは自分で次のように書き換えている。
前:ネオむぎ茶
年齢:16歳
職業:登校拒否
学歴:今のところ中卒
資格・免許:無し
趣味:無し
特技:無し
身長:178cm
容姿(顔):65キロ
友人:無し(いない歴2年)
恋人:無し(いない歴16年)
前科:無し
財産:無し(親の土地約10億円分を相続する予定)
存在感:欲しい

なお、Aの身長は本当は165cmである。

 一方、母親は息子にパソコンを買い与えたことを後悔し始めた。熱中はしているが、苛立つようになったり、逆に顔が曇りがちになるなど、のめり込みすぎていたからである。

西鉄バスジャック事件の犯人(ネオむぎ茶)の生い立ち・家族は?

昭和58年3月 佐賀 生まれ 

共働きの両親と活発で社交的な妹との4人家族。

父親はサラリーマンで、学校のPTA活動にも積極的に参加するタイプ。
母親は、保健婦としてフルタイムで働いていた。
妹は、少年と正反対の自己肯定感あふれるタイプ。

少年は、小中学校と成績が優秀であった。

しかしそれは、本人の努力と言えば努力だが
劣等感から逃れるための努力ともいえた。

小さいときから運動が苦手であった。
体格も小さく、幼稚園・小学校では、大きい子に囲まれるような環境であった。

小学校中学年くらいから、同級生にからかわれたりするようになり

運動ではどうにもならず
勉強面で、自分の優越感を出すために
打ち込むようになっていった。

自分が上に立つことで、人を見下していた部分があったようである。

中学3年から、また下降気味になっていき
それに比例して劣等感が強くなってきた。

とはいえ、学年ではトップクラスの成績。
しかし、希望よりワンランク下の学校を受験したことは
プライドが高い少年にとっては、かなり屈辱的なことであった。

いじめ(と少年は受け止めている)から大怪我を負い
高校に入学しても、コルセットをつけながら
通学していたことが、面倒でもあり苦痛でもあった。

からだが思うようにならず、学校も休みがちになり

休めば休むほど、勉強がわからなくなるという
悪循環におちいるようになっていった。

そのまま不登校となり、自主退学。
そうならざるを得ない精神状態であったのだろうと推測はできる。

引きこもりがひどくなり、部屋に鍵をかけるようになる頃、
母親と妹に対しての家庭内暴力がひどくなる。

これは、いままで鬱積していたものが
「暴力」と言う形であらわれたのであろうが

母親は、それを受け止めるよりも
外部に助けを求める方に動いた。

病院や警察に相談をしていったのだが、それが少年の苛立ちを助長させた。

ここで、母親が少年を受け止める力があったのなら
また違う結果になったかもしれない。

しかし、受け止めることは、そう容易でないことも現実としてある。

唯一、父親だけが少年と向きあおうと懸命になっていた。
夜にドライブにさそい、なんとか少年を外の世界にだそうと働きかけていた。

少年をドライブに誘い出すことによって、
せめてその時間だけは母親と妹が安心して家にいられる時間を持つことができるからと
のちに父親は言っていた。

このことは少年にとっては、ささやかな「光」となる。

なんどか誘われるうちに、今度は自分から

ドライブをしたい

と、父親を誘うようになる。
ある時は京都、もっと遠くの名古屋まで、日帰りで行くこともあった。

少年は、小さいときに言えなかったわがままを
ここぞとばかりに、まるで親をためすかのように言い続けた。

そして、父親はそれを可能な限り受け入れて行き、少年に向き合い続けた。

バスジャックで通ったルートは、父親とドライブをしたルートと
全く同じである。少年は、父親との思い出の道を走ろうとしたのである。

そして、乗客には「自分の宝物」といって
高速道路の領収書を見せびらかす。

それは、父親とドライブした時の領収書であった。

父親とのドライブの時期があったから、その時は
多少なりとも犯行をしないでいられる状況だったともいえる。

しかし、ドライブで出かけている間に
鍵をあけて母親が部屋に入り
犯行声明文のようなものを発見してしまう。

ナイフも購入していることが分かり、少年の心はどうにもならない状態のようであった。

警察や精神科医が介入し、精神科病棟への措置入院となった。

このことで、少年のこころは再び閉ざされてしまった。

両親に裏切らたと、激高している。

それとともに
自分がされたいじめを放置していた学校にたいしても怒りを膨らませていた。

このあたりから、彼のなかで
具体的な計画が立てられ始めた。

精神科医師をだまして、外出にこぎつける。
その後、決行すると決断した。

精神鑑定の結果、

解離性同一性障害と診断され

統合失調症を発病する恐れも無視できないとの診断であった。

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