オードリー・タン(唐鳳)が若干35歳にして台湾のITデジタル担当政務委員という政府の要職に就任し、
不透明だった台湾政府の予算や法律整備をどんどん見える化させて話題となっていますね。
アメリカの雑誌で「2019年のグローバル思想家100人に選出」にも選出されたオードリー・タン(唐鳳)に対して、
日本では79歳で「印鑑とデジタル、対立せず」を標榜した竹本直一さんがIT政策担当大臣を務めることが随分と比較されましたが、
オードリー・タン(唐鳳)とはいったい、どんな人物でどんな経歴の持ち主なんでしょうか?
オードリー・タン(唐鳳)wikiプロフィール
名前:唐鳳(オードリー・タン)
本名:唐宗漢(タン・ツオンハン)
生年月日:1981年4月18日
年齢:37歳(2019年12月現在)
国籍:中華民国(台湾)
オードリー・タン(唐鳳)はともに新聞記者出身の両親のもとに生まれると、
とある雑誌でIQ180だということが報じられているように幼少のころからたぐいまれな知性を発揮しています。
7歳の小学1年の時にはすでに連立方程式を解けるようになり、
8歳からプログラミングの習得を開始し、
12歳にときには、のちに開発にも関わるプログラミング言語「Perl」も学び始めています。
IT分野では抜群のセンスを発揮していたものの、
日本では中学生にあたる14歳のとき学校生活に馴染めず学校を中退。
その理由はオードリー・タン(唐鳳)が性同一障害の悩みを抱えていたことのようで、
結局、2005年の24歳の時に外見と自己意識を一致させるために、女性への性転換を決断し、名前も変更しています。
そんなオードリー・タン(唐鳳)のことをずっと両親は温かく見守っていたようで、
まだ中学校に通っているうちにはドイツへ留学させ、
性転換の決断も否定することなく本人の意思を尊重したそうです。
オードリー・タン(唐鳳)は「台湾のコンピューター界における偉大な10人の中の1人」にも選出されたそうですが、
15歳で中国語の歌詞を検索する検索エンジンを開発したり、
19歳でシリコンバレーにソフトウェア会社を起業し、
BenQ・Appleなど世界的なIT企業の顧問を務めてきた実績が評価されたといってよいでしょう。
オードリー・タン(唐鳳)のひまわり学生運動,開かれた政府とは?
オードリー・タン(唐鳳)が台湾政府の閣僚に抜擢されたのは、
- 台湾史上最年少
- トランスジェンダー女性(MtF)
- 最終学歴は中卒
という3つの点で異例中の異例と言えますが、
オードリー・タン(唐鳳)はもともとIT業界の実績だけではなく社会運動も積極的に行ってきた背景があります。
まずオードリー・タン(唐鳳)の名を一躍、台湾中にとどろかせるきっかけとなったのが、
「太陽花学生運動」(ひまわり学生運動)です。
2013年3月18日に馬英九総統率いる国民党政府が「海峡両岸サービス貿易協定」という中国との条約を強行採決をしたことを受けて、
学生たちが立法院を占拠し抗議すると、支持者が続々と集結し、最終的には主催者発表で50万人(警察発表で11万人)という大規模な抗議活動に発展。
同じ年の11月に行われた台湾の統一地方選では、強行採決を行った与党の国民党が大敗し、
馬英九が国民党主席を辞任する事態に追い込まれています。
ひまわり学生運動は従来のデモ活動とは違い、抗議の対象と政治目標が明確で、
さらに武力による鎮圧が行われたり、組織が自壊する前に自主的に解散するなど、
終始一貫して、平和的に抗議活動が行われたことが評価されています。
オードリー・タン(唐鳳)が台湾政府で実行した業績の一つが「開かれた政府」(open government)と呼ばれるもので、
不透明だった台湾政府の内部の様子をネットから簡単に調べられるようにしたこと。
- 法律や予算
- 政策報告書
- 公務員の海外出張内訳
といったものの他、国会議員の質疑内容や聴聞会の録画中継を「見える化」してインターネットで公開。
オードリー・タン(唐鳳)の手腕により、「開かれた政府」のウェブサイトを通じて、国民ならだれでも各種情報を閲覧できるようになっています。
他にも、台湾政府の大臣に抜擢される前には、「台灣零時政府g0v社群」や、オンライン法規討論サイト「vTaiwan」の設置にもかかわっています。