小柏剛選手は2021年にコンサドーレ札幌に加入したサッカー選手で、同期入団には中島大嘉選手がいます。
プレースタイルは攻撃的ポジションであればどこでもこなせるポリバレントが武器の小柏剛さんの気になるプロフィールをまとめています。
小柏剛のプレースタイル
小柏剛選手のポジションはFWで、主戦場はトップ下
ただ、2トップの左、シャドーなど、攻撃的ポジションであればどこでもプレーできるポリバレントな選手です。
身長167センチと小柄ながら、俊足を生かして攻め込むプレースタイルを得意として、こぼれ球に対する反応力と切り替えの速さには目を見張るものがあります。
守備的にも攻撃的にもスピードはチームの大きな武器となっていて三上大勝GMは「スピードは日本人離れ。将来うちがACLを目指していく中で貴重な戦力になり得る逸材」と評価しています。
ただスピードだけではなく状況に応じてプレーを選択していく判断力もあります。
前線でアグレッシブに相手にプレッシャーをかけたかと思えば、攻撃の局面では鋭い走りで相手守備陣の脅威となっています。
ビルドアップの局面でも機に応じて短いドリブルを挟みつつ、正確なパスで攻撃をスピードアップさせる場面もしばしばみられます。
小柏剛wikiプロフィール
名前:小柏剛
出身地:群馬県高崎市
生年月日:1998年7月9日
年齢:22歳
身長:167cm
体重:67kg
血液型:O型
利き足:右足
出身中学:志木市立宗岡中学校
出身高校:埼玉県立浦和北高校
最終学歴:明治大学 商学部 商学科
ポジション:FW(トップ下)
所属チーム:コンサドーレ札幌
■サッカー歴
ファナティコス(小学生年代)→大宮アルディージャジュニアユース(中学生年代)→大宮アルディージャユース(高校生年代)
小柏剛選手は小学校高学年になると全国大会で得点ランキング上位の常連となると、中学進学時には県外クラブからも声がかかる中、大宮アルディージャジュニアユースに加入しています。
10番を背負って挑んだ中学3年時のJFAプレミアカップでは優勝に貢献し大宮JYに史上初となるタイトルをもたらしました。
個人でも日本クラブユース選手権(U-18)でマジョルカMF久保(当時東京U-18)と並び得点王を獲得しています。
大宮アルディージャユースにも順当に昇格し、プレミアリーグEASTの得点王に輝きますが、トップ昇格が叶わずに明治大学に進学。
入学当初こそレベルの高さに圧倒されたようですが、1年時から出場機会を得て15試合に出場して3得点
2年目も19試合で7得点をあげ、3年生になると10番を託されます。
2018年はアミノバイタルカップ、インカレ、関東リーグ、総理大臣杯、天皇杯の東京予選のすべてを優勝し、見事5冠を達成!!
2019年も総理大臣杯、全日本大学選手権で日本一に輝いています。
■代表歴
全日本大学選抜(2017年~2020年)
ユニバーシアード大会(2019年)
ユニバーシアードでも準々決勝の韓国戦、準決勝イタリア戦で2試合連続ゴールを決め金メダルに貢献しています。
小柏剛の経歴
大学サッカーで才能を開花させた小柏剛選手は、古巣の大宮アルディージャのほか、コンサドーレ札幌とFC東京が獲得に乗り出す中、
「練習の難しさに魅力を感じた」と、自分が最も成長できそうということで、札幌に加入しています。
2020年7月に特別指定選手として札幌に選手登録されると8月12日のルヴァン杯グループステージ第3節・横浜FC戦でプロデビュー
更に3日後、8月15日のJ1第10節・川崎フロンターレ戦にも出場し、Jリーグデビューも果たしています。
2021年は第11節終了時点で5試合出場・3試合先発・1得点
ただ2021年4月7日のJ1第8節・FC東京戦では東京の選手とボールを追っていた滑って転倒すると、左肩を脱臼して途中交代していました。
■日本代表歴
U-16日本代表候補(2014年)
U-15日本代表(2013年):マレーシア遠征(7月)、AFC U-16選手権予選(9月)
小柏剛のツイッターやインスタグラム
小柏剛のツイッター
小柏剛のインスタグラム
小柏剛のフェイスブック
小柏剛の高校や大学など学歴は?
小柏剛さんの通っていた小学校については学校名は明らかになっていないものの、中学校から高校大学はは次のとおりです。
出身中学:志木市立宗岡中学校
出身高校:埼玉県立浦和北高校
最終学歴:明治大学 商学部 商学科
小柏剛の身長・体重は?
小柏剛さんの身長体重は次のとおりです。
身長:167cm
体重:67kg
小柏剛の父親・母親は?
小柏剛さんの実家は、父親が群馬県高崎市で中古車屋さんを営んでいるそうです。
小柏剛さんは次男ということなので、少なくとも兄が1人いますね。
小柏剛の彼女は?
調査中
小柏剛さんのプライベートについて調べられる範囲では彼女の存在を匂わせる情報も一切ありませんでした。