小倉全由wiki|成績・戦績や今後は?出身中学は?日大三高校野球部の元監督

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小倉全由さんは日大三高校野球部の監督を役26年にもわたって務めた野球指導者。

甲子園通算出場22回(37勝20敗・優勝2回・準優勝2回)を誇る小倉全由さんの気になるプロフィールをまとめています。

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小倉全由wikiプロフィール

名前:小倉全由

生年月日:1957年4月10日

生年月日:65歳

出身地:千葉県

出身中学:一宮町立一宮中学校

出身高校:日大三高

出身大学:日本大学

小倉全由の経歴|現役時代

中学時代はエースで4番

日大野球部に在籍していた6歳上の兄の勧めで日大三高に進学すると、3年次は副主将だったが控えの内野手。

日本大学では野球部に入部せず、高校野球の指導者を志し日大三高でコーチを務めました。

小倉全由の経歴|指導者

大学卒業後の1981年に関東一高野球部監督に就任。1985年夏の甲子園に甲子園初出場しベスト8に進出、1987年の春選抜で準優勝に導きました。

1997年に母校の日大三高の監督に就任すると2001年夏の甲子園で同校初の夏の全国制覇を達成。

その後も2010年春の選抜で準優勝。2011年夏甲子園で2度目の全国制覇。

関東第一時代も含めて甲子園で21度指揮し強打のチームをつくり上げ夏の甲子園で2度優勝していますが、2022年をもって勇退することが発表されています。

■甲子園での成績
関東一:出場4回・7勝4敗・準優勝1回(春:出場2回・4勝2敗・準優勝1回/夏:出場2回・3勝2敗)
日大三:出場17回・30勝15敗・優勝2回・準優勝1回(春:出場7回・10勝7敗・準優勝1回/夏:出場10回・20勝8敗・優勝2回)
通算:出場21回・37勝19敗・優勝2回・準優勝2回

小倉全由の高校や大学、中学の学歴は?

小倉全由さんの通っていた高校・大学は次のとおりです。

出身中学:一宮町立一宮中学校

出身高校:日大三高

出身大学:日本大学

中学校時代の同級生にタレントのあご勇がいたそうです。

小倉全由小倉優子の関係は?自宅は?

調査中
小倉全由さんのプライベートについてネットメディアやSNS(twitterなど)などへの投稿など調べられる範囲では結婚していることを確認できるような情報は掴めませんでした。

ただ元々小倉全由さんのプロフィールでは「旧姓:斉藤」となっていることから、結婚を機に「小倉」の家に婿養子として入ったのではないでしょうか。

元プロ野球選手・監督の森繁和ははとこにあたり、またタレントの小倉優子さんとは親戚関係にあるとのこと。

自宅は九十九里浜にありますが監督時代には妻子を残しての単身赴任して生徒と元に寮生活をしていたそうです。

小倉全由の教え子

近藤一樹(元大阪近鉄バファローズ→オリックス・バファローズ→東京ヤクルトスワローズ→香川オリーブガイナーズ)
内田和也(元ヤクルトスワローズ→埼玉西武ライオンズ)
千葉英貴(元横浜ベイスターズ)
都築克幸(元中日ドラゴンズ)
荒木郁也(元阪神タイガース)
吉田裕太(元千葉ロッテマリーンズ)
関谷亮太(元千葉ロッテマリーンズ)
山﨑福也(オリックス・バファローズ)
吉永健太朗(元社会人野球選手)
髙山俊(阪神タイガース)
横尾俊建(東北楽天ゴールデンイーグルス)
宮之原健(元BCリーグ選手)
伊藤裕季也(横浜DeNAベイスターズ→東北楽天ゴールデンイーグルス)
坂倉将吾(広島東洋カープ)
櫻井周斗(横浜DeNAベイスターズ)
井上広輝(埼玉西武ライオンズ)

小倉全由wikiまとめ

小倉全由はは日大野球部に在籍していた6歳上の兄の勧めで東京都にある日大三高に進学し、高校では内野手としてプレーしましたが、レギュラーにはなれませんでした。日本大学では野球部には入りませんでしたが、高校野球の指導者を志し、母校である日大三高のコーチを務めていました。

1981年に大学卒業後、関東一高野球部監督に就任。1985年夏の甲子園に甲子園初出場しベスト8に進出。1987年・春の甲子園では下手投げの平子浩之投手と三輪隆捕手のバッテリーを擁し準優勝に導きます。成績不振を理由に1988年に一旦監督を辞任という形で退くが1992年12月に復帰。辞任した際には練習場には一切出向かず、髪型を角刈りからソフトパーマに変えるなどして野球から完全に離れました。

1997年に母校である日大三高の監督に就任。2001年夏の甲子園で、甲子園歴代最高記録(当時)となるチーム打率.427を記録することになる強力打線を率い、同校初の夏の全国制覇を達成。2010年春の甲子園では自身2度目の準優勝。2011年夏の甲子園では、髙山俊、横尾俊建らを擁し、初戦から6試合連続二桁安打、4試合で二桁得点、6ホーマーという強力打線とエース・吉永健太朗の全試合登板の力投で自身2度目の夏の全国制覇を達成します。

先述の2001年夏チームのように豪快な攻撃野球を持ち味とし、学校の所在地から“町田の闘将”と称されました。

映画『仁義なき戦い』が大好きで、大学時代に母校でコーチをやっていた時は、毎日新宿昭和館で『仁義なき戦い』の3本立てを観て母校に戻り、広島弁で「わりゃ!コラッ!」などと怒鳴りながらノックをしていたという。現在も練習では選手を褒めて伸ばす指導を行う一方、“瞬間湯沸し器”を自称するように時々大きな雷を落とす(例えば寮の掃除ができていない時など)厳格な一面を併せ持つ。ただ、単身赴任して選手と共に寮生活を行い時には選手と湯船につかったり叱った選手を監督室に招きいれスイーツをつまみながら叱った理由などを話し合うなどしている。選手たちからは「父親以上の存在」と言われるほど慕われており、実際に2011年夏の優勝メンバーはインタビューで常々「監督を男にする」「小倉野球が日本一だと証明する」と語っていた。

高知の強豪校である明徳義塾は、甲子園での初戦の戦績は2018年春の甲子園が終了した時点で、33試合で28勝5敗(うち20連勝という大記録もあり)であるが、この5敗のうち2敗を付けたのが小倉である(上記の1987年春の甲子園と、2011年春の甲子園)。

日大三高の教職員の定年(65歳)から、2023年2月9日に同年3月末をもって監督を勇退することが発表されました。学校からは慰留されましたが、監督退任と共に日大三高も退職する。監督生活最終日となった、2023年3月31日には、町田市の日大三高野球場で帝京高校と練習試合を行い、最後の指揮を取りました。試合は2度先行されながらも2ランとソロのホームランで追い付き、3対3で引き分けました。試合後には、長年東京で競い合った帝京高校野球部前監督の前田三夫から感謝の言葉を受けました。後任監督には、野球部部長の三木有造が就任します。

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