「起きて半畳寝て一畳」とは誰の言葉?どんな意味なんでしょうか?
「起きて半畳寝て一畳」の続きは「天下とっても二合半」?「飯を食べても二合半」?
起きて半畳寝て一畳|意味・誰の言葉?
「起きて半畳寝て一畳」とは意味は、
たとえどんなに大きな家に住んでいようと、人ひとりが〆る場所は、起きている時は半畳、寝る時は一畳あれば済む。
広い家に住む金持ちを羨んで、むやみにあくせくしても詰まらないことだよ
といった感じでしょう。
他にも同じような言い回しで、「起きて三尺、寝て六尺」「千畳敷に寝ても畳一枚」「千石万石も飯一杯」などというのもあります。
誰の言葉かというと、俚言集覽、上巻、明治32年に、
起きて半畳寝て一畳
という項目が立てられており、韓氏外伝の用例を引いていますが、家などは膝を容れるだけ在ればよい、といった内容で、その漢籍の言葉が、どうして日本風に言い換えられたものになったのか説明はありません。大寶箴、というのも引用していますが、言ってることはおなじです。
とにかく漢籍に非常になじんでいた江戸から明治にかけての人々が、人の住む家などは膝を容れるだけあればよい、という漢文の有名な言葉から思い付いたものだと言うことですね。七五七五調ですから、江戸末期にはやった歌謡にでもあったのでしょうか。
起きて半畳寝て一畳|続きは?
「起きて半畳寝て一畳」の続きは
「天下とっても二合半」
「飯を食べても二合半」
など。
通常ですと、「一日に二合半の扶持米を得る身分の低い武士」と言う意味ですが、この場合は「身分の低い武士も、天下人になっても一日に食べる米の量は二合半」と言う意味だと思われます。
ちなみに、江戸幕府の扶持米は、男子1日5合、年1石8斗と定められ、これが標準量だったということです。
「天下を取ったからって、1度に食える量なんて知れたものさ」と浪人たちの負け惜しみなのですが、戦国時代の兵士の中には1日6、7合はざらだったようです。江戸時代でも越後から来た米搗き人は1日7合要求したといいます。
まとめ:起きて半畳寝て一畳|意味・続きは?誰の言葉?
「起きて半畳寝て一畳」とは「普通の人なら,どれだけ多く食べようとしても 一升飯なんて とても食べられない。ほとんどの人の場合,せいぜい二合半くらいがよいところだ。」という意味でしょう。