尾野真千子さんは沖縄が好きすぎて、なんと5年もの歳月を費やして今帰仁村に古民家を立ててしまったそうです。
■アナザースカイ 尾野真千子の沖縄・今帰仁村…自ら家を作った意外な訳とは!?
「夢の数だけ空がある」尾野真千子が沖縄へ…運命を感じた今帰仁村で世界遺産、ダチョウ園、アグー豚を満喫。彼女がこの地に自らの手で琉球古民家を作った意外な訳とは!?
出演者
【MC】今田耕司、河出奈都美アナウンサー
【ナレーション】バッキー木場
【ゲスト】尾野真千子
https://tver.jp/episode/85928619
尾野真千子の今帰仁村の古民家の場所はどこ?
<尾野真千子>沖縄で究極のゴーヤチャンプルーに舌鼓 釣り仲間と大海原へ 「アナザースカイ」今夜放送
女優の尾野真千子さんが、5月13日深夜に日本テレビで放送される紀行バラエティー番組「ANOTHER SKY/アナザースカイ」(関東ローカル、木曜深夜0時59分)に出演する。最近、沖縄と釣りにハマっているという尾野さんが番組で沖縄を訪れ、究極のゴーヤチャンプルーと泡盛で一息。人生を変えた釣りとの出合いを語り、釣り仲間と大海原へと繰り出す。
番組公式インスタグラムには、尾野さん行きつけの沖縄県今帰仁村(なきじんそん)にある昭和レトロな雰囲気の北山食堂が、写真で紹介されている。お薦めのメニューは、ゴーヤチャンプルー、黒糖ラフテー、今帰仁産牛のタタキだという。
また、尾野さんが大好きな散歩道だという今帰仁村の「今泊(いまどまり)のフクギ並木」の写真や、尾野さんが伊江島(いえじま)の沖合で、高級魚アカジン釣りに挑戦した写真が投稿されており、釣りの写真には「スッピンで気合入りまくりです!」とつづられている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cba393ba28bf3e28e2037707df1494fcc01923a0
沖縄と尾野真千子さんの関係について調べてみると、2010年12月に日本テレビ系列で放送された「ニセ医者と呼ばれて ~沖縄・最後の医介輔(いかいほ)~」という戦後のおきなっを舞台にしたドラマに尾野真千子さんは出演していました。
主演は堺雅人さん三で、共演者は寺島しのぶ、安部力、尾野真千子、今井雅之など。
堺雅人さん演じる「医介補」の宮前良明が務める診療所を訪れた若い主婦・仲前由美を尾野真千子さんが演じていました。
■あらすじ
沖縄で最後の「医介輔(いかいほ)」と呼ばれ、2008年に87歳で引退した実在の人物・宮里善昌さんをモデルに描く。
1959年、アメリカ統治下の沖縄。 医師免許を持たない代用医師で持てない医介輔という立場にジレンマや無力感を抱えながら、米軍基地のある村で、病やケガに苦しむ村の人々のために診療を行っていた。 つつましい生活をしながら、治療費を払えない貧しい人には、逆に金を渡すような良明を、妻のハナ(寺島しのぶ)は黙って見守り、献身的に支えた。
ある日、近くに住む漁師の妻が診療所にやってきて、自身の妊娠を告げる。 しかし、彼女は3ヶ月前に米兵にレイプされ、お腹にいる子が夫の子か米兵の子かわからないという。 警察にも夫にも相談できず苦しむ彼女に、戦場で死んでいった多くの戦友を見てきた良明は「私には堕ろせとは言えない。 できれば産んで欲しい」と告げるが…。 医介輔と患者の深い絆・信頼関係を軸に、戦後沖縄の現実を描く感動のヒューマンドラマ。
■医介輔とは?
第二次世界大戦後、アメリカ統治下の沖縄において認められた代用医師 すなわち医師免許を持たない「医師」、それが医介輔です。
戦争終盤の1945年4月、米軍は沖縄本島に上陸。 「鉄の暴風」と形容される日本最大規模の熾烈な地上戦が繰り広げられ、軍人だけでなく多くの民間人が犠牲になりました。
そして1945年8月15日に終戦を迎えますが、その頃には沖縄の医師の数は戦前の1/3、わずか64名にまで激減していました。 特に、離島や僻地における医師不足は深刻で、その状況を鑑みてアメリカ(琉球列島米国民政府)は、元衛生兵などの医療従事経験者を、地域医療にあたらせることを決めます。 それが『医介輔』です。 医介輔は、「重病患者に対する診療禁止」「医師の指示によらなければ抗生物質を使用してはならない」などの条件付きで、医師による医療が行き届かない地域での医療行為が認められます。 そして1951年、試験によって126人(沖縄96人、奄美30人)の医介輔が誕生しました。 交通機関の整備も十分になされていない離島や僻地で、野戦病院のように毎日数十人、時に100人を超える患者が深夜まで押しかけてきましたが、医介輔は地域医療の第一線で日夜奮闘します。
その後、1972年の沖縄本土復帰時も、沖縄の僻地医療は改善されていないとして、日本政府は「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」を制定。 これにより本土復帰後も、これまで通り医介輔は個人開業し患者を治療出来ることが保障されます。 正式な医師でない為、時に「ニセ医者」と偏見や差別に晒されることもあった医介輔。 それでも彼らは、沖縄の僻地や離島に住む人々のため、地域医療を地道に支え続けました。 そして、2008年10月6日。 最後の医介輔であった宮里善昌さんが87歳で引退。 戦後沖縄の地域医療を約60年にわたり支えてきた医介輔の歴史が幕を閉じたのです。